ゲッターロボ飛焔2008年03月02日 19時50分17秒

先日、本屋に並んでいたので『ゲッターロボ飛焔(ひえん)』というコミックスをつい買ってみた。
原作は永井豪・石川賢となっていたが、漫画は津島直人。
石川賢没後に書かれているから、シナリオは多分漫画家の津島氏が手掛けているのであろう。
ただ、produced byダイナミックプロダクションとあるので、もしかしたらダイナミックプロもシナリオにタッチしてるのかも知れないが。

とりあえず『ゲッターロボ』と銘打ってる作品なので、感想は手厳しく行きます(笑)。
と、書き始めたらすんげー長くなってしまいました。
1週間くらいかかって書いてますよ。この文章。

先ず、本を手にとってみての感想。
タイトルのロゴタイプにゲッターへの愛が感じられない。
(おいおい、そんなトコからツッコムんですか?(笑))
ゲッターのロゴは文字エレメントの右端がトンがっててナンボだろーがよう!!
違う。このロゴタイプにはゲッターの息吹が無い!!(笑)

ロボのデザインセンスやキャラクターのタッチに関しては漫画家さんの個性だと思うので、とりわけ言及はしません。
好みダケを言うなら、「オレの好みとは違います」。

とか、この本について何で感想を書こうと思ったかと言うと、理由が「どうやらこのマンガは石川漫画版『ゲッターロボ號』と『ゲッターロボアーク』のストーリーの間に位置する物語のように見え、尚且つダイナミックプロがプロデュースしてる分だけ、オフィシャル色の高い物」であるから。
(「〜のように見え」とは、おっさんな隼人が早乙女研の所長な上、敷島博士が『アーク』の時みたく早乙女研の防衛システムにダイレクト脳リンクしてたりするから。まぁ、漫画版に対してのOVA版みたいなパラレル物な可能性もありますが。情報入れて無いので漫画の内容のみで判断してます。
あ、OVA『真対ネオ』の世界観の後日。って考え方もあるな。)
とはいえ、ダイナミックプロオフィシャルだろーがなんだろーが、オレにとっての漫画版ゲッターは石川賢が描いたモノこそ本物で、石川氏以外が描いた物は例えソレが永井豪が描いた物であっても偽物でしかないのです。オレにとっては!
なので、この『飛焔』というマンガ、オレにとってはまぁどーでもいいです(笑)。
基本、興味の対象外。(だったら買うなよ)

かといって、だからその手のモノを全否定するのかと言われるかとそんな事も無く、面白かったり凄いと思わせてくれる作品ならばソレはソレでちゃんと評価はする人間なので、ゲッターアンソロジー系でも認めている物はあったりはするんですよ。
長谷川裕一のとか富士原昌幸のとか結構好きです。
『ゲッターロボ大決戦!コミック』に収録されてる山下博行のとかなんか、独特過ぎる切り口に感嘆したりしてますし。

と、何をグチグチと言い訳めいた事を書き連ねてしまうかと言うとですね。
どーもイマイチ感を受けてしまうのですよ、この『飛焔』。
どこがと言えばただ一点、「目線が低い」所。
(「目線が低い」とは、作品を作る上での「志の高さ」の話を言っていますね。)
特に出だしのエピソードが読んでてイラっと来ました。
何で引用ばっかり使っちゃうんだろうか?

冒頭、ゲッター1号機パイロットが使えない自衛官ってのは、明らかに『ゲッター號』の冒頭シーンからのパクリだし、落ちて来た1号機に、死んだパイロットの替わりに主人公(竜牙 剣)が乗り込むというシークエンスは『ゲッターアーク』の拓馬がゲッターD2に乗り込むシーンを彷彿とさせる。
ソレってどうよ? って思えません?
敢えてパクリという言葉を使ってますが、そう読者に思わせたら、作者として負けなんじゃないのかなぁ。
ニュアンスは引用してもいいけどシーンを引用しちゃダメだろ。
そんな風に安易に持って来てしまっては石川版を越える物なんて、天と地がひっくり返っても描けるワケ無いいと思うんですが。
作家さんはそんな目線で作品作ってて満足なんですかね?
どーせやるなら石川版を越えるゲッターを描くつもりでやればいいのに。
そんな風な歯痒さを覚えて仕方無いんですよ。
「ほら、ちゃんと石川ゲッターのシーン、押さえているでしょ。読者のみんな、喜んでください」じゃ、その目線の低さを読者に見透かされてしまいません?
オレの感想、穿ち過ぎですかね?

主人公が石川版竜馬みたいにムチャクチャな乱暴者キャラにしたくて、強引に奪うように1号機に乗り込むっていう展開で行きたいなら、主人公の竜牙に早乙女研を占拠させるとか、違う描きよう(演出方法)がいくらでもあると思うんですよ。例えば……

●パニックのあまり1機だけ離脱・墜落してしまう自衛官搭乗の1号機。
●墜落した廃虚の街で倒れている竜牙(実は腹が減って倒れているだけ)を見つけ、保護の名目で、2・3号機を戦場に残し1機だけ尻尾巻いて早乙女研に帰還してしまうヘタレ自衛官1号機。
●意識を取り戻し、メシをたらふく食わせてもらった竜牙、研究所内で調達した爆発物を仕掛けたりテロそのもののやり方で研究所をあっという間に占拠。
その目的は「ゲッターに乗せろ」
●竜牙に背後を取られ銃をつきつけられる隼人所長。「ニヤリ」とほくそ笑みながら、「そんなに乗りたいか?」
●竜牙に銃をつきつけられたままゲットマシン格納庫に案内させられる隼人。
「おう、コレだコレ!」
ゲットマシンを目にして喜ぶ竜牙の銃をあっさり奪い、逆に銃を突き付け返す隼人。
「そんなに乗りたいなら、力づくでも乗って見せるんだな」とニヤリ。
●竜牙の前に立ち塞がる1号機の自衛官。戦闘時のパニックで目がイッてる。
●あっさり自衛官をノし(や、殺す一歩手前レベルまで痛めつけますよ。そりゃ(笑))、1号機のコクピットに座る竜牙。
●「神所長。そんな素人にゲッターパイロットが務まるとは思えません。足手まといです」と2・3号機パイロット。
(こいつらはまだそのまま戦っていた。航続時間とかの設定関係次第でもあるが)
「その程度で戦え無くなるなのか? お前達は。 いやならそのコクピットから降りろ」神はいつもの傍若無人さで、そんな文句を受け付けない(笑)。
●神、コッピットに座る竜牙の胸倉を掴み、言う
「竜牙、現場まではオートパイロットで送り届けてやる。
それだけ大口を叩いたんだ。後は自分でやってみせろ」
「話せるじゃねーか、所長さんよ!」
「お前の死体が形を残して帰って来るなら、葬式くらいは出してやるから安心しろ」
「上等ォ!」
1号機が早乙女研から射出される!!

とかさ。
引用ばかりを単に使いまくるんじゃなくて、韻を踏んでいながらオリジナルな展開。ってな風にお話を紡いだ方が、燃えません?

なのになぜ、安易に引用で済ませちゃうのかなぁ?

なんつーか、「記号化された石川賢要素」で展開してるというか、そんな印象を受けてしまいます。
「熱血」を記号化させてしまったスパロボ世代の悪しき慣習というか。
この作品に限らず、そういうの多いですよね。
記号化された要素を詰め込むだけの作劇をしないで、ニュアンスだけを取り込んだ上での、自分のオリジナルな部分をもっと出した方がいいと思うんですが。
そこの部分を、仮に読者からこんな風に文句を言われても(笑)、「別にオレは石川ゲッターの劣化コピーを描いてるワケじゃねぇ!」と言い返せるじゃないですか。
記号論ばかりで描かれていると、はっきり言ってコッチの魂に「グッと来ない」んですよ!


えー、すみません。
とか言った感じでこの『飛焔』をかなりケチョンケチョンに言ってますが、コレがオフィシャル作品で無かったり、作品の作劇目線が元々「学年誌くらいの読者層を狙っているんだ」とかだったりするのなら、まぁ、ソコまで言う必要ははっきり言ってありません。
いや、学年誌どころか石川版『ゲッターG』が連載していた『冒険王』辺りに載ってたとしても、「普通に面白い巨大ロボットアクション漫画」としては充分以上に読める作品です。
ソコは認めた上での、どーせなら本家石川版に負けないくらいの作品を描いて欲しい。というゲッター好きとしての「欲」みたいなモンですから。
エールみたいなモノとして受け止めていただけると幸い。
やっぱりどーしても、オレが石川版『ゲッター』を好き過ぎなんで、「違うモノ」に関して歯痒さを感じてしまうのは致し方ないのですね。
この文章を読む上で、そこら辺、御了承いただければと。
この文を読んで「コイツは何を言ってるんだ!?」と思ったならば、是非『ゲッターロボ飛焔』を手に取ってみてあげてください。
そして読んだコトが無いのなら、石川賢版『ゲッターロボ』サーガもついでにどうぞ(笑)。