●震災に絡むココ2週間の自分まとめ(その4/完)2011年03月19日 10時29分56秒

14日(月)
停電は結局しなかったものの、困ったのは電車。
輪番停電の経験なんて初めてだから、みんながどんなものか想像もつかないのだろう。
特に調整がつかないらしい鉄道関係が、ことごとく始発から運転を見合わせる。
自宅作業な上に夜型の自分はほとんど関係無いが、困ったのは奥さん。
出社しようにも電車が動いて無いので、出社出来ない。
都心までバスで出ようかとも考えるが、みんな考える事は同じなようで、テレビではどこぞのバス停は長蛇の列とか報道してる。
奥さん、会社の上司の人と相談し、何とタクシーで出社するハメに。
奥さんの名誉?のためにも断っておきますが、ウチの奥さん単なる一介のパートですよ。
「正社員でも無いのにタクシー出勤」のプレッシャーを抱えながら、奥さんはウチを出て行った。
午後過ぎから起き始めて、お仕事。
ネット上では原発事故や輪番停電と共に、スーパーから物が無くなる買い占め騒ぎがあちこちで語られる。

ところでウチが、買い占め騒ぎに平静でいられている理由のひとつに、地震の直前に着いた母親からのみかん箱ってのがあります。
先述もしましたが、この中には干物やら漬け物やらがみかんと一緒に結構な量入っていまして、干物と漬け物で食いつなげれば、1~2週間は何も買わなくても籠城出来る量の物資がウチの中にはあるのですよ。
しかもみかんというデザートまで付いて。
何て言うか、この時ほど母親の有り難さを感じた事はありませんでした。
お母さんありがとう。
干物の仕分けがめんどくせーとか言ってごめんなさい。
そして夜には奥さんが疲れ切って帰って来る。


15日(火)
鉄道会社も段々と計画停電(輪番停電の名称がいつの間にか計画停電に統一されてた)に慣れて来たようで、今日は本数が少ないものの、ウチの駅ではちゃんと電車が動いてくれていたので奥さん普通に出社。
自分は当然のように出社を見届けた後、朝寝て昼過ぎに起きて仕事。
昼に起きると奥さんからの留守録やメールが来てる。
午後イチで自宅待機と言われ帰って来るハメになった模様。
が、ウチの数駅手前までしか電車が動いてくれず途中駅で立ち往生。
結局全線が動き出した夕方まで帰って来れず。
そして次の日も自宅待機と言われたらしい。
コレがトリガーとなったようで、地震からコッチの溜まったストレスが噴出。
奥さん情緒不安定になる。まぁ、仕方無いです。なって当たり前だと思うし。
ウチの奥さんだけでなく、ネット上で情緒不安定を吐露する人続出してるし。

そんなオレはと言うと、昼に起きると半年前からの鬱事案のひとつ、治療費20万コースの歯の治療の本命、義歯を入れる治療を受けに10万円を握りしめて歯医者へと向かう。
何でこんな時に歯の治療に10万も払おうとしてるんだろ、オレ?
これも停滞する経済活動の一環と割り切るべきか?
義歯は本命の歯を様子見の借り止め。あとは次に本当の接着をして、仕上げ確認の2回で終わりだと言う。
今回の治療費10万5千円。落涙。

情緒不安定になった奥さんを申し訳無いと思いつつあしらいながら、自分は仕事。
そしたら夜11時頃編集部から電話があり
「成り行きで進めておいてくれ」と言われた当の本人に、
「朝までに仕上げてもらえないと本が出ない」と言われた。
ほらみろ!
ちゃんと仕事し続けてよかった。
自分の進行的にはプラス2〜3時間のムリをするだけで終わりそうだったので、ある意味計算通り。
それでも自分では地震のせいで色々なタイムロスをし過ぎてると思っていたから、総合的にこのスケジュールのこなし方は赤点もいいとこ。
明け方の7時には、仕事をアップ。今月号のお仕事終了。


16日(水)
ノロウイルス明けの不眠症からコッチ、思うような睡眠を取れなかった事もあり、仕事を仕上げたオレ、朝から爆睡。
その横で先の見えない自宅待機が続く奥さんは不安定。
パートの自宅待機は給料の保証が無いため、自宅待機が続けば続くほど単なる無収入というプレッシャー。
旦那のオレも生活が保証されている仕事をしてるワケでも無い上に、最近じゃ仕事減ったーと騒いでるし。
そんな不安定でグラグラとした収入で家賃を払って住んでいるこのグラグラとした生活。
((C)福満しげゆき)
オレも奥さんも生活基盤が不安定だからなぁ。
こんな時だから、なおさらそういう事実が自分をさいなめてしまうのですよね。
とてもわかる状態なので、自分には何もする事が出来ません。
てか、いつものオレ、こんなんだよなー、と見てて思う。
いつも申し訳ないです。


17日(木)
昨日の夜に連絡があり、奥さんの会社の自宅待機終了との事。
この日は奥さん朝から出社。
情緒不安定も収まったみたい。
やっぱ仕事があるっていいですね。
仕事してる時はイヤでイヤでしょうがないかも知れないけれど。
オレと言えば仕事明けの虚脱感で、グラグラとしたまま。
これから2週間くらい仕事無いし。
今月の生活費を下ろしに銀行に行って入金額の少なさにグラグラとする。
そりゃ、昔に比べたら、そのくらいしか仕事してねーもんなー。
このグラグラさ加減、ある意味、日常に戻る。


と、鬱っぽいまとめにするつもりも無かったんだけど、何故か書いてる内にそうなってしまいました。
まぁソレが今の自分の日常だと言うトコで(笑)。

でも本当に言いたかった事は、タイミングという意味では、最悪と思える事が全部、実は最善と思えるタイミグでハマっているんですよね。
ノロウイルスになるのが5日遅かったら、この地震のパニックを最悪の体調で迎えてた事になってたワケだし。体調が完全回復していなかったとは言え、少なくてもノロ自体からは抜けてたワケだし。
仕事少ないとか言うけど、丁度ノロで動けなかった時が一番仕事量が薄くて逆に助かったし。自分が普通と考える以前と同じくらい仕事がいっぱいあったら、ノロと地震と相まって、絶対落としてたと思えるタイミングだったし。
みかん箱だって地震の直前に届いてなかったら、中の干物、ダメになってただろうし。そしたらもしかしたら買い占めパニックに踊らされていたのかも知れないし。とか。
状況は悪いけど、運はいい。みたいな。そんな感じがしました。

自分の運も、まだ捨てたものじゃ無いって信じてもいいものなんでしょうかね?
ウチの地区、計画停電になった事、まだ1回もないし(笑)。

●震災に絡むココ2週間の自分まとめ(その3)2011年03月18日 16時32分04秒

11日(金)続きその2。

午後7時、ウチの電話が鳴る。
あわてて出たら奥さんだった。
(※奥さんは公衆電話から掛けて来ました。
災害時に一番繋がり易いのは、実は公衆電話→家電話なのです。
覚えておくと便利)
とりあえず安堵しつつも「食料を確保して会社に戻って、会社で泊まるように」と指示。
この時点で電車の11日内復旧は皆無と報じられていたので、もう帰って来ない方が賢明。
ライフラインが寸断されたワケで無く、単に電車や交通機関の運休で帰宅が出来ない今回みたいな場合は、変に帰ろうとするより会社に泊まる方が絶対にいいと思うんですよ。
同じように帰れない仲間もいるだろうから顔見知りが居て心強いだろうし、上手くすれば会社の非常時の備えもアテに出来るし。
連絡もついて動向も確認出来て一安心したオレは、とりあえずメシを食い、余震が続く中、朝まで仕事をしたのだった。

12日(土)
朝になると電車も動いたので、早々に奥さんが帰って来た。
会社で毛布を貸してもらったとは言え、床にごろ寝では熟睡出来なかったらしい。
うーむ。それでは編集部の床部は勤まりませんぞ(笑)。
(朝夜関係無い編集部では床寝が普通で、さらには何日も家に帰らない人達の事を「床部」と言うらしい)
何はともあれご苦労さまでした。無事で何より。
昨日の様子をうかがうと、地震のあった後、会社のみんなで避難。そしてその避難先からさらに日比谷公園に避難。でも終業時間前よりかなり前にはもう会社に戻っていて、仕事も再開してたとのこと。
一番気になった、終業後の午後6時以降に会社を出てからの事を聞くと、なんと「美容院で髪切ってた」そうな。
や、そーいえば確かに金曜日の朝「美容院行くから帰り遅くなる」と言って出てった気はするが。
何でも店に行ったら地震騒ぎで閉店してたのだが、まだ電気とか点いてたから「予約してある者ですけど」と声を掛けたら「せっかくだから」とやってくれたそうな。
なんというかまぁ、随分と落ち着いていますねアナタ。心配してソンした(笑)。
で、オレも朝まで仕事してたし、奥さんも睡眠不足と言うので二人して朝から寝る。
当然、昼過ぎに起きてから仕事。

13日(日)
オレはもう順調に体内時計が狂い始めて、昼寝て夕方起きる生活。
ある意味それが日常(笑)。
夕飯のおかずを近所のスーパーに買いに行くと、棚がガラガラ。
インスタントラーメンやお菓子、野菜等が全て無い。
地震のパニックで買い占めが起きた模様。
えー? ウチの近所なんて全然大した被害なんか無いハズじゃん。
余震は確かにまだあるけど、メインより大きい余震なんか無いってば。
何を不安にかられているんだか?
コレだから地震慣れしてない地域の人達は。
仕方ないので何故かいっぱい売れ残っていた鰻の蒲焼き1パック380円を2つ買う。
震災後なのに鰻の蒲焼きを一気呵成に食べられる幸せ。
(『モーニング』でやってる鰻マンガが好きなんです)
そんな地域で物資が不足するとは到底思えないので、ウチでは踊らされずにこれからもその日の分しか買わない事にする。
まぁ、1週間もすればみんなもう買い締めるのに飽きて、元に戻るでしょ。
と思ってたら、輪番停電の告知のニュース。
そっちの方が困るじゃん!
グループ分けとか停電時間とか調べてみるも、ウチの地域は町でもさらに区分されるらしく、しかも記入ミスか何か知らんがウチの町名が明記されて無いときた。
コレはもう輪番停電じゃ無くて、全部の時間が停電で、点いたらラッキー。って考えるしか無いんじゃね?
と開き直ってみれば、なんだ、逆に言えば深夜は絶対停電しないのね。
深夜働いてるオレには被害少ないじゃん。と半分だけあきらめる。
そうこうしてる間に編集の進行さんと連絡が取れ
「ぶっちゃけ、本が出るかどうかわからない状況(製本出来ても配送が、それ以前に印刷工場が茨城にあるらしいので製本自体出来るかどうか)なので、無理に締め切り守ると言うより成り行きで進めておくという感じでいいですよ」と言われる。
が、本って意外にそんなに簡単に出なくなるものでも無いって事は知ってるので(その逆に、結構簡単に出なくなったりもするんですが(笑))、その話は聞き流して、粛々と作業を進める事に。
普通のスケジュールで考えたら、ノロウイルスで出足からコケてる上に、地震からこの3日間で結構取り返しのつかないタイムロスをしてるのは事実だから。
そして、輪番停電のスタート時刻の朝6時に仕事を終了。
ウチの地域、停電は、結局しませんでした。

●震災に絡むココ2週間の自分まとめ(その2)2011年03月18日 04時04分20秒

11日(金)続き。
東北の方では何だかとんでもない状況になっているようだが、なにおう!
コッチも仕事がとんでもないんだー! とは思いつつ、現状把握をするために結局仕事と情報収集を余震の中同時進行。
地震直後に、「ウチの被害はほとんど無し」のメールを奥さんの携帯に送る。
送信時の反応が渋かったため「携帯通じないのか?」と思ったが、何とか送信完了。
が、奥さんからの返信がなかなか来ない。メールが届いてるやら届いてないやら。
電波状況でサーバーで止まってる可能性もあるなと気付き40分後くらいに読み込んでみたら「無事です」のメール。とりあえず一安心。
(※携帯メールのサーバーが混雑してる場合、携帯には自動配信されなくてもサーバーまでは届いてるケースがあるので「新規メール確認」等でメール読み込むと、意外とメールが来てたりします。覚えておくと便利)
ただ、こちらの無事メールを読んでの返信では無かったのが少々気がかりだったが。
twitterやmixiにログインし情報を収集し始めると、どうやら都内の電車は全て運休。
そして再開のメド立たず。との報道。
家まで歩いて帰る。とか言う人も多数居て、テレビアニメ『東京マグニチュード8.0』の世界だな。こりゃ。とか思う。
ウチの奥さん、身体弱いのに歩いて帰って来れるのか?と考えていた所、「食料や水、トイレなども不足するので歩いて帰らない方がいい」とtwitterで流れ始め、そうこうする内に政府も同じようなコト言い出したので、自分の中では奥さんには「電車が動くまで会社に泊まらせる」という方針が決定。
何しろ下痢腹から治ったばかりなのだ。何が地獄ってトイレに辿り着けない事ほどの地獄は無かろう。
この頃には携帯はメールも電話も役に立たない事がとっくに判明してたが「無理に帰ってくるな。連絡はmixiで取れる」と一縷の望みを託し携帯メールを出すも、返信は無い。
それにしても、災害時におけるtwitterやmixiの有用性は偉かった。
奥さんとは連絡取れないが、mixi上の知り合いとは次々と連絡が取れ、twitterではテレビ以上に早い情報が飛び交っている。
(但し、twitterはデマも多い。てかデマ多すぎ。)
ぼちぼち午後6時と、奥さんの終業時間。連絡がつかないまま、奥さんはどうするつもりなんだろう?とハラハラしてると、ようやくmixiに奥さんの書き込みが。
「いま会社です。近所で時間つぶして電車の復旧を待ちます…。ダメならバスか徒歩!?」
うわぁ! オレのメール、届いてねー!
駅の改札に殺到する人波に飲まれてクルクルした挙げ句、パニックを起こした人波の流れのままに徒歩での帰宅を選んでしまう奥さんの姿が目に浮かんだ。

続く。

●震災に絡むココ2週間の自分まとめ(その1)2011年03月17日 07時43分29秒

とりあえず今月仕事もほぼ終わった事だし、この怒濤の2週間の自分まとめをしようかと思う。

3月3日(木)辺りから、なんかやや下痢腹っぽいな? 奥さん前日にウイルス性腸炎とか診断されてたな。とか思ってた所、5日(土)の夜に下痢が本格化。
未だ腸炎が治らない奥さんとトイレの取り合いに。

翌6日(日)、下痢は治らないわ何か全身の節々は痛いわで全然仕事進まず。
夜に何気なく熱を計ってみたところ38.7度。どんなに熱が出ても37度そこそこの自分にとっては、見た事のない数字。
とりあえず仕事のやる気の出ない原因が熱のせいだと解ったので、ある意味安心して仕事を再開。
この時点で仕事の累積が目の前の1ページしか無かった上に、このページは火曜入稿だったのでスケジュールに余裕も無い事から「2時間あれば出来る」と無理してやる。
その後布団に入ると発熱のせいで逆に身体がガクガクと震える。
これはアレだな。
昔社員旅行でグアムに行った時(あれ?サイパンだったっけ?)、全身の日焼けが凄くて軽度の火傷になったせいで、発熱から体温が奪われ逆に震えてしまうというアレに近いな。
靴下穿いて手袋して全身はスエット着込んで、肌をまったく出さずに布団に潜ったら今度は自分の発熱が外に逃げず、むしろあったかくなって震えが止まった。

7日(月)、熱はまだ38.2度ある。午前中、雪の降る中近所の病院に行く。
「ノロウイルスですね」
処方されたのが結局胃腸薬と下痢止めのみ。
ええ? こんなに熱で辛いのにそれだけなの? まぁ、発熱する事で体内に入り込んだウイルス殺すってコトは知ってるけど。
この日は大人しく一日中寝る事に。
普段はこの時期にこんなコトしてる場合じゃないのだけど、幸か不幸か、今月はまたしても仕事が少ないのだ。
手元にあるのが先述の返事待ちの1ページのみ。
その返事の催促すら放置して、これ以上は無理と、うなされながら寝る。

8日(火)、熱はもう午前中から下がり始める。当然だが下痢は継続中。
昼に件のページの返事があり、身体をだましだまし仕事して夕方にアップ。
熱は下がったのだが、その揺り返しか、頭痛と吐き気と全身疲労が凄い。
てか、38度の熱があった日曜の方がまだ全然仕事が出来たくらいの体調。
夕方からようやく仕事がぼちぼち入り始めるも、未だ調子戻らず。寝る。
が、深夜1時頃、唐突に体調がノロウイルスから「抜けた」気がした。
そしたらこれまで一日中寝まくってたせいか、体力が戻ってもいないのに眠れなくなる。
不眠症勃発。
体力的にはヘロヘロなのだが、無駄に起きてる時間がもったいないので仕方無く深夜から仕事再開。

9日(水)、起きてる限界を越えてから寝てるのに1~2時間程度の睡眠で目が覚めてしまう。体調ボロボロ。でもようやくまとまって入って来た仕事があるので仕事をし続ける。
オレはこの2週間でギリギリひと月分の収入を得て生活してるんですよ。
ココ落としたら、もう生活出来ないんです。
だから無理をしてでもこの時期の仕事をしなけりゃならんのです。

10日(木)、いつ寝ていつ起きてるんだかよくわかんない状態。
唯一わかってるのは、起きてる時間は全部仕事をしていないと仕事を落とすということだけ。
でも一日経てば米粒一粒分くらいは体調も復活してる実感。本調子では無いにしろ。

11日(金)、正午くらいに親からみかん箱が届く。
中身はウチで採れたみかんと干物と漬け物などが大量。
実はコレがとてもありがたかったコトになるとはつゆとも知らず、
「だから仕事で忙しいこの時期に、来た干物を仕分けしなおして冷凍庫にしまう手間を掛けてる時間はねーんだよ!」と不機嫌になりながら干物を仕分ける。
だってその場でやらないとダメになっちゃうから。干物が。
さて、仕事始めるかー!
と思ってた14時46分。
地震です。東北関東大震災の起きた、まさにその時。
「お? 揺れてるな」と思いつつ。パソコンを押さえる。
何が怖いってパソコンが倒れでもして壊れたら、お仕事パーですよ。
今からパソコン新たに買い行ってたら、もう締め切り間に合いませんよ。
いつの間にか命より大切になってます、オレのmac-PRO。
思ったより大きくて長く続いた地震ですが、隣の部屋で平積みしてた録画済みブルーレイディスクの山が崩れた程度で、仕事部屋の物は何一つ崩れなかった程度の小被害。
子供の頃から「大地震来るぞー!」と言われ続け、かつ小~中規模の群発地震がしょっちゅう起きる地域に住んでいた自分としては「直接被害の無い揺れただけの地震なんかは、どんなに震度やマグニチュードが高くても、まったく問題無し」のメンタリティが備わっているので、余震が何度も続く中、「揺れてるなぁ」程度でへいちゃらで仕事を続ける。
ただ、「横揺れは怖く無い。縦揺れには気を付けろ」で育った自分でも、「この横揺れは何かおかしい」とは同時に気付いていたので、仕事の合間にテレビやネットで情報を入れる。
そしてとんでもない災害だと気付く。
まさかね、地震自体より津波の方が怖いとは。

以下続く。

とりあえず地震までのまとめ。
考えてみればノロウイルスからこっち、休み無しで地震に遭遇してるんですよね。私。
ホント、体力的・精神力的にキツかったです。
でも逆に言えば、仕事で忙しかった分だけ、地震のニュースとかも大して見れて無いし、
地震を気に病む精神的余裕も無かった(「地震だぁ? 地震と締め切りどっちが大事だと思ってンだ!」的な)から、街がひとつ壊滅してるなんて衝撃的なニュース映像を見ても多少うわのそらでいられ、地震被害に関しての精神的マージンを逆に得られていたのかも知れません。

●復活のスーパー2011年03月16日 21時32分40秒

夕飯のおかずを買いに近所のスーパーに行った所、
日曜日にはガラガラだった商品棚もかなり復活していました。
いいかげんみんな買い飽きた模様(笑)。
都内は元々流通不足をしてる地域じゃないので、
買い占めが起こったとしてもせいぜい1週間で元に戻るだろうと思ってたのだけど、それ以上に早く品揃えされるかも知れません。
うーん、流通してるってスゴイですね。

停電等で生活が多少不便になるのは続くかも知れませんが、
少なくても都内の乱痴気騒ぎはまぁ1週間で収まると思いますよ。
だから買うのは今日の分程度でいいんです。

地震での情報の取り方2011年03月11日 20時37分06秒

今回の地震で思った事。
携帯電話がダメ。
携帯メールがホンの少しだけ繋がったけどほとんどダメ。
その代わり携帯からツイッターをやってる人も居たようなので、ネットには繋がったみたい。

自分は在宅人間なので、パソコンからでの話だけれど、
とにかくツイッターは情報が早い。
が、デマも結構混じってる。
身近な人間とはmixiの方が連絡が取りやすい。
ログインさえしてくれれば、必ず連絡が取れるので。
だからツイッターとmixiを平行で眺めながら、
Uストリームで配信されているNHKを観つつ(聞きつつ)、
正確な情報把握してるって感じです。
ネットにテレビは負けたとか何とか言うけど、やっぱりある程度の早さを持つ正確な情報を欲する時はテレビのニュース番組ですね。

と、今回の自分の情報の入れ方って「はやぶさ」の大気圏突入の時と同じ事やってるな。と思いました。
「はやぶさ」で予行演習が出来ててよかったです。

地震2011年03月11日 17時16分50秒

地震がすごかったですが、ウチの被害は積んである本がくずれたくらいでした。
とりいそぎご報告まで。
災害に遭われた方々におきましては心からお見舞い申し上げます。