ゲッターロボアンソロジー 〜進化の意志〜2008年03月31日 20時15分51秒

『ゲッターロボアンソロジー 〜進化の意志〜』を買った。
ダメ。この本つまんねー。

先ず、本屋で手に取ったら価格が税抜きで1300円。
高けー!
思わず萎えました。買うのヤメようかと思った。
ヤメとけばよかった(笑)。

この本読んで思ったのが、
「作品のテーマって、振りかざしたら作品としてもうダメですね」。

なんていうか、富野監督が『ガンダム』を何作も描き続ける上で
「ニュータイプ」という設定を使わなくなって行ったという方法論は、
作劇をする上で、なんと正解だったコトか。
という事がよく解りました。
もし『ガンダム』がニュータイプの呪縛に縛られたままだったなら、
このアンソロジー本みたいなコトになってたんですね。
やっぱ「<ニュータイプ>なんて子供がロボットを動かしても変じゃない。という理屈付けのタメの物」程度で留ておくのが正解なんですよ。
つまり、ゲッターで言えば「ゲッター線と進化の正体なんて、物語内でゲッターロボが存在するタメの理屈付け」程度にしとかなきゃダメ。ってコト。
ソレを設定程度に留めておいて、独自のエピソードを持ったドラマを描かなきゃダメだ。ってコトですね。

この本読んでソレが凄く良く解りました。

だって<〜進化の意志〜>なんて副題にしちゃったせいか、どの作品もゲッターエンペラーが出て来てインフレ状態。
うんざりですよ。
そんな方向性でストーリーをまとめようしても、スケールが広がり過ぎてまとまるワケねーじゃん。
大体が石川賢自体が正体をつかみきれなかった「ゲッター線」ですよ。
短篇で描き切れるワケねーっての。
という中途半端な作品ばかり。
ぶっちゃけ、掲載作品のほとんどが
「ゲッター線にの光に巻き込まれて、意識だけ時空を越えて〜」と、シナリオ演出がまったく同じ。
芸が無いにも程がある!
コレはもう作家さん達のせいだけで無く、編集者も同罪。
全てを「虚無」に向けてどーするよ。

そういう意味では永井豪の作品のみが唯一違う目線で描かれて事に、ほっとしました。
さすが御大です。
が、残念ながら、単純につまんなかったです。

石川氏が『ゲッター』という作品を盛り上げたり終わらしたりするタメに
「進化」という言葉(「ゲッターという物語のテーマである進化」)を振りかざして作劇する。
のなら当然かまわないのだが、
他の人間がソレやっちゃダメなんだな〜。
と、思いました。

てか、アレですよ。
結論は「石川賢以外は『ゲッター』描いちゃダメ!」ってコトですよ!!!

……あ、自滅(笑)。

(余談としては、今の桜多吾作や風忍のゲッターをアンソロ本で読みたいかな〜?
後は、「一般誌に描いてるような有名マンガ家だけど石川賢ファン」が描いた物とか。)