石川賢先生、本当にありがとうございました。2006年11月17日 17時11分04秒

2006年11月15日水曜深夜。
木曜朝までの仕事の〆切りが諸事情で伸びたので、ホッとしながらmixiを覗くと、信じられない情報があった。
「石川賢氏、死去。」
また、何かの冗談だろ? と思いながら、その情報ソースを確認しに行くと、かなり信憑性が高い。
にわかに信じられない情報に戸惑いながらも、折角1日伸びた〆切りを落とす訳にもいかないので、仕事を続けた。
この時眠くてヘロヘロだった頭が、この情報のお陰ですっかり覚めて、むしろありがとう。とさえ、思えた。
早朝6時。ようやくこの日の分の仕事が終わる。
自分のmixi日記に「石川賢氏、死去。」の情報をレスとして付けてくれた方も居たので、何かレスを付けねば。と、mixiにログインする。
「とりあえず、現状で(仕事が)全て連絡待ちのトコまで終わりました。
……ダメだ。まだ信じられない。
オレはきっとこうやって〆切りを優先させて、親の死に目にも逢えないんじゃないだろうか? とかまで考えてしまいました。
人生の偉大な師です(勝手にそう思ってます)。石川賢先生。
幼少の頃に『ゲッターロボ』の漫画に出会ってなかったら、今、こんな仕事に就けてません。
いかん……マジで涙が出て来た。
ありがとうございました。 」
と、上記のレスを書いてる途中、本当に涙に出て来た。
いや、文中には「涙が出て来た」と書いているが、そんなレベルでは無い。
鼻水も出て来た。
声こそあげてはいないが、号泣に近かった。

本来自分はかなり冷酷な人間だ。と思っている。
人が死ぬコトで涙を流すコトがあまり無い。
ばーちゃんが死んだ時も泣かなかった。
ましてや、有名人・著名人なんて、自分の手の届かない所に居る人の生き死にに、涙を流すなんて現実感に乏しいことをする訳が無い。
手塚治虫の時も、石森章太郎が死んだ時ですら、泣く亊は無かった。
こんな風に涙を流してる自分が信じられない。
それほど自分にとっての石川賢という存在は特別だったのだ。

レスを書いている途中、涙でモニタが見れなくなった。
もっと何かを、もっと自分の想いを、もっと書きたい亊がいっぱいある筈だ……
その気持ちに答えてくれない涙は止まる亊が無く、それ以上モニタとキーボードを見させてはくれなかった。
多分、この時が「石川賢が死んだ」という事実を、自分が受け入れた瞬間だったのだろう。

ご冥福をお祈りいたします。とか、お悔やみ申し上げますとか、そんな形式上の言葉では無く、自分の心の底から出た、石川賢先生に向けての“送る”言葉は、「ありがとうございました。」です。
私の人生は賢先生の作品と共に在りました。
賢先生の作品が存在したこの時代に生を受けたこと、感謝せずにはいられません。
賢先生、今まで本当にありがとうございました。