『Gのレコンギスタ』の富野演出について。2015年04月15日 11時23分28秒

富野由悠季監督の久々TVシリーズ『Gのレコンギスタ』。
最終回も終わりましたが、自分としてはとても面白かったです。
どーゆー風に面白かったかと言うと、
「ストーリーが何が何だかわかんないのに、面白く観れてスゲー!」
ぶっちゃけ状況描写とか、全然わかんなかったです。
ベルリ少年が、当初敵と思われた海賊船のクルーになってしまう経緯とか、それこそ序盤からほぼ全然理解出来ないままで観てました。
でも面白かったです。
なんつーか、理解出来ないことを探りながら観る楽しさというか。
それでいてとんでもない密度と速度でストーリーが進んで行くので、探っては置いて行かれの繰り返しで、着いて行くのがやっとというありさまでしたが。
ていうか、ぶっちゃけ途中からストーリーに着いて行くのはあきらめました。
これはアレだ。
富野作品のいつもの特徴である「2周目を観ないとわからない」だ。
話が何だかわからないので、2周3周と、何度も観ないと理解出来ないんですよ。
今でこそみんなわかったような顔してるけど、『Zガンダム』なんて当時そうだったんじゃないんですか?
私は『Z』はリアルタイムでは観てないんで当時の空気感はわからないですが。
で、あきらめた上で、全てを受け入れて観るようにしたら、これがまた何だかわからないのに面白いんですよ。
不思議ですね。
やー、面白かったです。

てな感じな、分析力もまるでない自分ですが、今のご時世ネットを見てると色々と情報や分析、解釈が飛び交ってしまっているので、その辺りを自分がいいなと思ったものをかいつまんで自分なりに解釈しなおして『Gレコ』における富野演出の魅力を(演出ってくくりでいいのかな?そこすらもわかんない)を簡単にまとめてみようかと思いました。

切っ掛けは花見の2次会のカラオケの席で
「『Gレコ』全然わからなくて面白く無いんだけど、どこがいいのかオレに説明してくれ!」と先輩に言われたからなんですが。
その回答としての目線で描くので、例え話が偏ります。ご了承を。


『Gレコ』の富野演出について。

『Gレコ』の富野演出って、とにかく状況しか描かないんです。
悪く言えば状況と状況のツギハギ。
例えばその「花見の席の宴会の様子」を描いた後、移動する間は描かずにいきなり「2次会のカラオケの様子」を繋げてしまうのです。
例えその<移動する間>にどんなドラマがあったとしても、ばっさりカットしちゃう。
それが富野演出。
もし、件の花見の宴会を富野監督が映像として演出していたなら、「花見の席」は楽しく描かれますよね。そして「2次会」も、もちろん楽しいシーンとして描かれる。
でもその移動する間に「実は失業しちゃってさ」という先輩からのショッキングな告白があったとしても、ソコはばっさりカットされて、シーンを繋げられられてしまう。
普通だったらソコをドラマの中心に持って来て「えー!!」とかいうリアクションを付けて劇伴込みで盛り上げる所、富野監督はそれをしない。
ではその事実を演出として使わないのかというとそうではなく、むしろ「花見の席」と「2次会の席」でその話を聞いた自分の態度が、ちゃんと「聞いた後」の態度として描かれているのです。
そこが富野演出の凄い所。
だから1回観ただけだと単に楽しそうな「花見」と「2次会」のシーンも2回、3回と観ると、あれ?という違和感に気付く。
かつ、それがわかるように作られている。
映像上の事実のみを追い求めた生まれた、省略の美学ですね。
それと、人の心理なんて他人からは覗き見ることなんて出来ないじゃないですか。
失業したという複雑な思いを抱えて「花見」に来てるなんて、聞くまではわからないわけだし。
だから、人が生きて世の中を視認している状態を純粋に再現しようとすると、カメラが捉えている映像のみを繋ぐという、極めて客観的な演出になるわけです。
「失業したんだ」「えー!!」というわかりやすさをあえてやらない。
で、それを実写の映像では無く、荒唐無稽なロボットアニメのカテゴリでやろうとする。
しかも、客観的とは言うものの、本当にそれだけで作ったらドラマにならないので、その匙加減の妙技。
それが富野演出の凄いところです。
さらに言うと、その省略した部分が全て、どんな形であれ完成された映像の中には残っているので、何度も観直すことで、概ね理解出来るようにちゃんと完結してるということ。

よくある「何だかよくわからないストーリーの作品」と一線を画す部分がそこです。
富野監督が自身で口にするように
「作品は映像が全てです」
がちゃんと完遂されているから。
答えは本当に映像の中に全てある。

とは言え
今のご時世、ネット上の様々な情報も目にするわけで。
前述の通り上記の分析もネットで誰かが言ってたことを咀嚼してるだけだったりします。
一例を挙げると、序盤のベルリ少年の行動は、少年が一目惚れしたお姫様のような相手、アイーダ(本当に姫様だったわけですが)の力になりたい(しかも出会いの時点でその彼氏を殺したという罪を背負いながら)という視点で見ると納得が出来るものがあるはず。
(海賊船の情報収集は自分を言いくるめる言い訳)とか。
キャラクター描写にブレは無い上に映像上の情報密度が凄く高く詰め込まれているので、よく観ると(何度も観ると)、「あ、コイツほんとはこうなんじゃないか。」と気付ける(もしくは気付けないまま)の作りになってます。
というように全キャラ(端役まで含めて)その人の視点に立って観ると、感情や考え方の動きもかなり理解出来るみたいですよ。


私はバカなので、以上がネットで得た知識をかいつまんだ『Gレコ』の富野演出の感想。
本放送が終わった途端、東京MXでの放送が始まった今、2周目以降の発見があることを今から楽しみにしてます。
そして2度目の第一話を観たら、わかりやすー!!
人名、地名、用語が理解出来てるので、何言ってるかがこれほど分かりやすいとはー!!
やっぱりアレです。
結論。
富野演出は2周目以降から!(笑)

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