『Animecの頃…』2010年05月03日 00時29分48秒

子供の頃アニメやマンガが好きだったので、まぁこんな人間になってるワケですよ。
そんな人間が中高生の頃読んでた雑誌に『Animec』(以下『アニメック』英語打ちが苦手なので(笑))というのがありまして。
情報誌というより解説や評論を重視した作りが、濃いアニメ誌の立ち位置としては双璧を成す『月刊OUT』とはまた違い、良い意味で偏った雑誌でした。
で、その当時の『アニメック』編集長・小牧雅伸氏が、当時の事を備忘録的に書かれた書籍がある。ってどこかで聞きかじっていたんですね。
そしたら今日たまたまその本を見付けてしまいました。
『Animecの頃… 編集長ま奮闘記』(※「ま」は、○の中にま)です。
そして手に取り衝動買い。

てなわけで今読んでる途中なのですが、文中にちょっとびっくりする記述があったので取り急ぎ(笑)。
『アニメック』の編集部ってワンちゃんビル……王貞治氏がその昔(現役の頃)に立てた福富ビルにあったんですか?
ソコって、私が専門学校出て初めて入ったデザイン会社が入ってたビルなんですけど!!
ガキの頃読んでた雑誌の編集部があったのと同じビルに通っていたなんて!
確かに「ここら辺にアニメック(アニメショップの方)があったんだよな。住所知らんけど」とは思いながら通ってはいましたけどね。
まさか編集部が同じビルに過去存在してた(確か私が勤め始めた頃はもう『アニメック』は休刊になっていたかと)なんて思いも寄りませんよ!!
うわー。中坊当時のオレに教えてやりてー。
そしてそのビルから会社が引っ越してから20年以上も経ってから(もう会社員ですら無いし、オレ)、ようやくそんな事に気付くとはー。
なんつーか、世の中って不思議ですね。

まだ読んでる途中のこの本、当然って言えば当然なんですがなかなか郷愁を誘うモノがありまして。
版下に写植をペーパーセメントで切って貼る話とか、
級数のQはわかるけどPって何?とか(答え:活字のポイント)、
トレスコの中は蒸し風呂とか、
ほとんど出版に関して(編集作業という意味では無い)素人同然の集団が、全国流通に乗った出版社としての雑誌を当時どうやって作って行ったのか。の流れがなんつーか凄い「わかる」書き方をされてて涙が出ます。
特に出版関係に携わる者としては胸が打たれるコト必至。
丁度今「リストラなう」
http://d.hatena.ne.jp/tanu_ki/20100329/1269871659
という、とある出版社の営業さんがリストラに直面してる様を書いているブログを読んでるコトもあって、「取次」システムの事とかなんかリアルに実感出来ます。

同業種的な視点じゃ無いトコロで、さらに言えば『アニメック』読者で無くても興味を引ける部分を挙げると「オタク」とう言葉に対しての見解。
多分、この著者の書く「オタク」の言葉の起源こそが正解なんじゃなかろうか。
一般には「オタク」って「1983年にエッセイストの中森明夫が【発明】した言葉」と言われてるんですね。
でも、実際それ以前にも「オタク」という言葉は蔑称として飛び交っていた事は、子供時代とはいえ当時をリアルに生きて来た自分にとっては現実であるワケです。
つまり体験的に「中森明夫が云々」というくだりをどーしても飲み込めないでいたワケですよ。
そしたら、その答えがこの本にありました。
結論だけ引用すれば「情報発信をせず、人の情報をかすめ取るだけの「オタク」と呼ばれる人種は1974年には存在し、大量に増殖したのは翌年からであった」というコトです。
ただ、この具体例が非常にわかりやすく、かつとても面白く書かれているのでこの部分だけでも必読の価値があります!
ぜひ読んでください。
「あー、ホントの蔑称に値する意味での『オタク』って、こんな手合いの人間だったよなー」と思えますから。
そしてちょっと間違ってその具体例として出て来たオタク像に<オタク要素を持つであろう人付き合いの下手な内向的自分>をほんのちょっとでも重ねて読んだ日には、ダメージでかいです(笑)。
心の隅に隠していた傷にほんの少し触れてしまうコト請け合い。

私もまだ途中までしか読んでいないので言うのも何ですが、当時の『アニメック』読者なら読んで損は無い本だと思います。