●あしたのジョーの方程式 ― 2006年09月24日 11時17分41秒
「そうか! そうだったのか!」
思わずそう叫んでしまったのは、『あしたのジョー』という作品がこの本によってひもとけたからでは無く、この本によって<自分自身の「あした」>がひもとけたからである。
『あしたのジョー』は好きな作品だ。
しかし、一度は全巻揃えていながら、実は自分の本棚に現在その姿は無い。
人にあげてしまった。
アニメも子供の頃、それなりには観ていたが全話あますところなく観てた。というわけでも無い。
その程度の人間が、島本和彦の著書だからというだけで買ってもいいものだろうか? という疑念を抱きながら、つい、この『あしたのジョーの方程式』という漫画解説本を手に取ってしまった。
本屋に行ったらそこにあったのだから仕方無い。
で、その程度の人間が読んで、はたして面白かったのか、どうか?
それ以上であった。
『あしたのジョー』という作品がひもとかれる快感以上に、それが自分の人生に置き換わり、頭の中でフラッシュする。
ジョーの生き様と自分の生き様。
ジョーの「あした」とは力石だった。
ではホセは?
島本氏独特の熱い笑いの中にある冷静な分析で語られる言葉は、『あしたのジョー』に触れていた頃の自分まで掘り起こす。
あの時描いていた自分の「あした」の姿は、本当に今の自分の姿なのか?
胸を張って「これでよし!」と言えるのか?
よくある漫画解説本とは違い、この本は人生の指針を与えてくれる。
少なくとも自分にとってはそうだったのだ!
願わくば、『あしたのジョー』に触れた程度でも知っている人全てに、読んでもらいたい一冊である。
特に、自分の「あした」を見失っているあなたに!
この『あしたのジョーの方程式』流解釈に当てはめるならば、さしずめ今の自分は「『そこにはまだ美味い水があるんじゃないか』と、とりあえず甘い気持ちでテンプルも打てずにゲロを吐きながら戦い続けるカーロスに出会う前のジョー」といった所だろうか。
はたして、この先出会えることがあるんだろうか? オレのカーロスに。
もう不惑ですよ。
思わずそう叫んでしまったのは、『あしたのジョー』という作品がこの本によってひもとけたからでは無く、この本によって<自分自身の「あした」>がひもとけたからである。
『あしたのジョー』は好きな作品だ。
しかし、一度は全巻揃えていながら、実は自分の本棚に現在その姿は無い。
人にあげてしまった。
アニメも子供の頃、それなりには観ていたが全話あますところなく観てた。というわけでも無い。
その程度の人間が、島本和彦の著書だからというだけで買ってもいいものだろうか? という疑念を抱きながら、つい、この『あしたのジョーの方程式』という漫画解説本を手に取ってしまった。
本屋に行ったらそこにあったのだから仕方無い。
で、その程度の人間が読んで、はたして面白かったのか、どうか?
それ以上であった。
『あしたのジョー』という作品がひもとかれる快感以上に、それが自分の人生に置き換わり、頭の中でフラッシュする。
ジョーの生き様と自分の生き様。
ジョーの「あした」とは力石だった。
ではホセは?
島本氏独特の熱い笑いの中にある冷静な分析で語られる言葉は、『あしたのジョー』に触れていた頃の自分まで掘り起こす。
あの時描いていた自分の「あした」の姿は、本当に今の自分の姿なのか?
胸を張って「これでよし!」と言えるのか?
よくある漫画解説本とは違い、この本は人生の指針を与えてくれる。
少なくとも自分にとってはそうだったのだ!
願わくば、『あしたのジョー』に触れた程度でも知っている人全てに、読んでもらいたい一冊である。
特に、自分の「あした」を見失っているあなたに!
この『あしたのジョーの方程式』流解釈に当てはめるならば、さしずめ今の自分は「『そこにはまだ美味い水があるんじゃないか』と、とりあえず甘い気持ちでテンプルも打てずにゲロを吐きながら戦い続けるカーロスに出会う前のジョー」といった所だろうか。
はたして、この先出会えることがあるんだろうか? オレのカーロスに。
もう不惑ですよ。
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