『赤毛のアン』2013年11月02日 14時28分20秒

現在TVKでは月~木の朝8時にアニメ『赤毛のアン』が放映してまして、奥さんが観たいというので第20話目くらいからかな? 録画して観てます。
本放送当時、多分裏番組のロボットアニメや特撮番組、もしくは『象印クイズ ヒントでピント』を観ていたせいで、実は世界名作劇場系のアニメはほとんど観てないんですよね。
男の子だったので、派手な爆発とかがまったく無いアニメはかったるくて観てられませんでした(笑)。
なので、ぶっちゃけ観るのは初めてなんですが、これがメチャクチャ面白い!
さすが、高畑勲監督の誉れ高い名作。
この作品、毎回ストーリーはほとんどあって無いようなモンなんですね。
ありふれた日常を描いてるだけ。
なのに30分間画面に釘付けにされ、あっと言う間に終わっちゃうんです。
凄い演出力。
この間の話なんて「人付き合いが苦手な養父マシュウがアンに流行のふくらんだ袖の服をクリスマスのプレゼントに買ってあげようとする」だけで30分終わっちゃいましたから。プレゼントを渡すトコまで行ってないんですよ。
フツー、話がスカスカになりますって。
なのに全然「話が進まねー」とか「観ててイライライする」とか「たいくつー」とか、しないんですよ。
もうグイグイ引き込まれるの。
スゲー!!

本当に面白いので観れる環境にある人は、昔観てた人も私みたいな初見の人もぜひ観てください。
リマスターのハイビジョンを放送しているので、昔観てた人にも損はさせませんよ。
養父の妹のマリラ・カスバートは単にぶっきらぼうなだけでスゲーいい人だし。
実はアン・シャーリーを引き取ったことで始まる、人付き合いが苦手な養父のマシュウ・カスバートの成長物語だったりもするし。
今の年になってから観るとどうしてもマシュウやマリラの目線で観るから、アンはもう夢想家でこまっしゃくれた生意気でおしゃべりなガキにしか見えないんだけど、コレ子供の頃に観てたら「大人はわかってくれない」とか言ってアンに肩入れして観てたんだろうか? とかとか考えたり、色んな世代の目線で観れて、本当に面白いです。
てか、こんなにハマるなら第1話から録画しておけばよかったー。
リマスターなので保存する価値もあるし。
とみの喜幸コンテ回も観れてたのに。
むー、後悔先に立たず。

『赤毛のアン』と『リーガルハイ』2013年11月02日 14時29分00秒

……ところでアン・シャーリーのあの、やたらと早口で自己中な妄言をまくし立てる口調は誰かに似てるなー。と思った所、今だと『リーガルハイ』の古美門 研介(堺雅人)にそっくりだと判明。

例えばアンが言いそうなセリフを書き出してみる。

「ねえマリラ。わたしね、脚をくじいて外へ出掛けられないなんてどれだけ不幸なんだろう。こんなに空が青く、小鳥が幸せそうにささやいているというのにそれをお日様の元で躰全体で受け止めることが出来ないなんて、神様はもうわたしのことを見放しになられたんだわ。そう思うと絶望したの。
でもねマリラ。ベットから動けないのもそんなに悪くないって思うのよ。
だって、わたしの心からの親友のダイアナが、毎日のようにお見舞いに来てくれるんですもの!
こんなに嬉しいことはないわ!
おおダイアナ! わたしはもしも世界が終わろうとも、あなたと永遠に親友で居続けることでしょう!」
「あたしはあなたのその止まらないおしゃべりより、小鳥のささやきを聞いてる方がなんぼかましだけどね」
「ねぇマシュウ。マシュウはどう思う?」
「そうさのう……」

  ↓ ↓ ↓

これを『リーガルハイ』の古美門に変換してしゃべらせてみる。

「黛くん。わ〜たしはね、『脚をくじいて外へ出掛けられないなんてどれだけ不幸なんだろう。こ〜〜んなに空が青く、小鳥が幸せそ〜うにささやいているというのに、それをお日様の元で躰全体で受け止めることが出来ないなんて、ああ神様はもうわたしのことを見放しになられたんだわ。そう思うと絶望したの』なーんて頭にお花畑が広がってるようなコトを言うような女子供がだいっっ嫌いなんだ。
そもそもだよ。
空が青いからと言って幸せとは限らない。雨が降るから作物は育つ。
晴天が1年中続いてみたまえ。大地は干からびてやがて砂漠になってしまうじゃないか。
小鳥だってそう。
ヤツラは道端に撒かれてる酔っぱらいのゲロを平気でついばんでエサとして食すような生き物だ。
そんな小汚い生物がピーチクパーチクさえずっていたからと言って、何を気にする必要があると言うんだね。
まったく気にする必要なんぞ、これっポッチもあるわけがない!
そんなコトより親友のダイアナだ。
ダイアナが動けないアンの元にかいがいしく通ってくれる。
将来への打算。はたまた献身という名の自己欺瞞。その動機がいかほどのモノであったとしてもだ。
毎日通ってくれるという“事実”が重要なのだよ。
もしも世界が終わろうとも、親友という名の下僕を手に入れたアンこそが! 
正に“勝・ち・組”というワケだ。
何か問題でも?」
「古美門先生! その腐り切った解釈、何とかなりませんか!」
「バカと話してても時間の無駄だ。服部、君はどう思う?」
「そうですね……」


どうでしょう?
どーでしょうって言われてもねぇ?(笑)
それぞれをそれぞれの声で読んでもらえると幸い。

白バイ2013年11月06日 16時01分10秒

Top Gun of Japanese Motorcycle Police 白バイの頂点!「白バイ安全運転競技大会」
http://www.youtube.com/watch?v=AVEWhQd80Vs

激闘! 第43回全国白バイ安全運転競技大会 VOL.1 TOP GUN OF MOTORCYCLE POLICE 2012
http://www.youtube.com/watch?v=GxMnFoGBSAk

警視庁女性白バイ隊クイーンスターズの華麗なる走行 @東京モーターサイクルショー2013
http://www.youtube.com/watch?v=0g9QPTTqOyk

やっぱ白バイ警官のテクニックすげー。
追っかけられたら逃げ切れるとはとても思えません(笑)。
2つめのは転倒シーンばっか集めた編集になってるので「下手じゃん」とか勘違いする人もいるかも知れませんが、転倒後のリカバリーの早さひとつとってみても、その技量の高さは異常。

こーゆーの観てると、初めて会社勤めをした時代を思い出します。
人に連れられて「タダでジムカーナが出来るから!」と警察主催の交通安全講習会みたいなの(確かワンデイスクールとか言ってたような気が)に行ってたっけなー。

あの頃は初任給12万5千円で生活してたワケで、それでもバイク所有する生活が送れてたんだよなー。
仕事減ったと嘆いているけど、まだその額まで減った月はさすがに無いので、何とかなるモンだと信じたい。
(ただ、当時よりも家賃や諸経費はべらぼうにかかる生活にはなっているので、12万5千円ではまったく生活出来ませんけどね。当時、家賃2万円のトコに住んでたし。
……てコトは家賃+10万の収入さえあれば生活出来るってコトですよね。)

11月27日『かぐや姫の物語』観に行きました。2013年11月30日 10時24分18秒

11月27日、『かぐや姫の物語』観に行きました。

現在TVKで『赤毛のアン』が毎朝再放送されているのですが、コレがとても面白く、夫婦共に毎日楽しく(録画して)観ているとは以前の日記でも書きました。
で、丁度そんなタイミングで同じ高畑勲監督作品が劇場公開されるということだったので「コレは、このタイミングでこそ観に行け」という天のおぼしめしであろう。と観に行くコトに。
てかこの作品、映画館で観ないと絶対に今後観ないんじゃないかなー? と思えたので(笑)。
(テレビでやったとしても、録画して観ないままブルーレイにダビングしてそのままタンスの肥やし状態みたいな)


感想を言うと「とても良かった」です。
で、観に行くべき映画だったかと問われれば「観に行くべき映画だ」と答えられます。

誰でも知ってるかぐや姫の話を、付加した演出はあるものの、誰もが知ってるままにお話を紡いでいるというのにちゃんと感動させてくれるのだから、それはもう凄いです。
全編あの筆のタッチがなめらかに動いてアニメーションしてくれるという奇跡のような作画には、まったく違和感を感じさせず、ただ驚嘆するばかり……いや、あまりにも自然過ぎて、当たり前であるかのようでした。
ジブリでよく言われる声優問題もプレスコ(声を先行録音し、それに合わせて作画する手法)のせいか、一般俳優で固められているのにかかわらず、こちらも違和感無かったです。
劇中の声を聞いてて俳優さんの顔が浮かんだのは「竹取の翁」の地井武男さんだけだったなぁ。(逆に「竹取の翁」に関してはむしろ地井さんの顔が見えた方が良いと思えたくらいなので、問題は無いです)

とにかく本当に完成度が高く素晴らしい作品でした。
以上。

……と、まとめると、何だかやたら味気ない感想文にしかならないですよね(笑)。
いや、それこそが本当に『かぐや姫の物語』の感想なんですよ。

ぶっちゃけ「地味」なんです。

『かぐや姫の物語』って制作年数に8年、制作費なんて50億円もかかってるんですよ!
なのに「地味」。
や、ほんとうに作品としての仕事は丁寧で、観る価値はとてもあるんです。
素晴らしい作品なんですよ。
でも、完成し過ぎてる作品って、あまりにも自然過ぎて、それが本当に凄いのかどうか、よくわからなくなっちゃうんですよね。
凄いことが当たり前になっちゃうので。
前出の「筆のタッチがなめらかに動いてアニメーションしてくれるという奇跡のような作画」も、最初は「おおっスゲー!」と思うものの、それが2時間半という上映時間中、当たり前のように全編動いていたら、それは「当たり前」のことになってしまうので、特段心を動かされることは無くなってしまうのですよ。
むしろ作り手としては、自然に見えるように必死になって作るワケですから、そう思わせてこそ勝ちなので、
それでこそ「良し」なのですが。
「奇跡のような作画が出来てこそが前提」の作品なので、逆に引っ掛かって悪目立ちする部分がひとつでもある方が負け(とはいえそれだって普通のレベルで言えば高い部類だったとしても)というハードル上がりまくりの作品。
そしてそれを完遂させている奇跡のような作品。
それが『かぐや姫の物語』です。
……なのに、奇跡を全編に通して完遂させてしまったが故に、奇跡を当たり前にしてしまったがために、印象が普通になってしまった作品。でもあるわけです。

甘いスイカに塩を掛けて食べる。とか、
白の綺麗さを際立たせるために白いインクの中に黒インクを一滴垂らす。とか、
塩ようかんとか塩キャンディーとか。
そういった不完全な部分をあえて残せる魅力の出し方を上手く織り込められてたら、もっと訴求力がある作品になったかも。とは、やっぱ求め過ぎなんでしょうかね。
その点「女童」というキャラクターは、その目的で十二分に果たせていたと思います。思いますが、「女童」だけではちと弱い感じ。「女童」大好きですが。


これね、作り手の高畑監督はとっても幸せだったと思いますよ。
こんだけ高い完成度の作品を思う存分作れたのだから。
作り手としてうらやましい限り。
そして高畑監督の凄いトコはちゃんと目線が客に向いてるので、上記のような「凄い」部分がひとりよがりになって無い所。
観ててちゃんと面白いです『かぐや姫の物語』。


あと、最後の最後のシーンで、演出論的に「A」か「B」かと選択出来るシーンがあるのですが(これ、「A」「B」でなく具体的に書いちゃった方がわかりやすいのですが、ラストシーンなので一応伏せておきます)、「A」を選んだ高畑監督は「いい人なんだなー」と思いました。
私だったらそこは「B」の方法論を取って、ただ涙を流させるだけ(もしくは少し口元を歪ませる)にしがちかな、と。(きっと富野監督なんかもそうさせがちだと思う)
「地球を肯定する映画なんです」という高畑監督の言葉はあの「A」のシーンが象徴してると思いました。


最後に余談ですが、
今回水曜日だということでレディースデーで奥さんの料金が1000円になったのは、ウチの家計的にもありがたいのですが、だったらメンズデーも作って欲しいよなー。と思う限り。
ずるいよー。男女差別だー。
男だって1000円で映画観たいよー。