●立喰師列伝2006年12月16日 11時50分43秒

買っておいた『立喰師列伝』のDVDをようやく観る。
想像通り、クソでした。
やっぱり押井守に好き勝手に撮らしちゃダメね。

個人的にはこの映画に、立喰師対店主の「弁舌軽やか」なる仕業(ゴト)の様をドラマティックに描いているであろうことを望んでいたわけですが、流石は押井守。
そんなエンターテイナーな気概は少しばかりも垣間見させてはくれず、どちらかと言えばNHK教育の歴史教育番組で流れるような糞尿の如き無味乾燥な映像さながらに、「立喰師を学術解説してみました。」的な抑揚が皆無な演出で延々と紡がれる映像は退屈極まり無く、観る者にあたかも催眠効果を誘発させんと言わんばかりの代物である。と言い切っても過言では無い。
(どのくらいつまらなかったか。を「そんなエンターテイナーな〜」以降の文に集約してみました。はっきり言って上記のような文体のナレーションが絶え間無く延々と流れる映画です。)
正直、途中で寝ちゃいました。
お陰様で、2週続けて『コードギアス』を観そこねるハメに!
起きたら『銀河鉄道物語』が終わってたよ。
くそう、なんてことだ。

この作品のクソ度数は同監督の『ケルベロス』に匹敵する……いや、『ケルベロス』よりはまだ『立喰師列伝』の方がマシかな? と言ったトコロ。
一番の問題は何でクソと解っていながら、何故オレは押井のDVDを買うのか。ってトコなワケですが、もう「業」としか言い様が(笑)。
買って「ああ、やっぱクソだった。」と落ち着くコトに意味がある。というか。
こうしてみると、オレは押井ファンでも何でも無いような気がするんだよな〜。と、毎回の自問が始まるワケです。
『攻殻』観てないし。
映画『パトレイバー2』の時に思ったんですが、コレ、押井自身がノベライズした小説の方が断然面白かったんですよね。
それと同じように『立喰師列伝』も文章で読んだ方が絶対に面白いと思う。
実はオレの中では押井は映画監督としてではなく小説家としての評価の方が高いです。
後、漫画原作とか。

作中に出て来る立喰師達のキャラ性は個性的で面白そうな気配をプンプンに匂わせていたのに、何故だ〜。
何故、押井はこんな風にしか撮らないんだ〜! と暴れてみても「それは押井だから。」に帰結してしまうので論じる意味がありません。
「月見の銀二」に始まり「ケツネコロッケのお銀」「哭きの犬丸」「冷やしタヌキの政」「牛丼の牛五郎」「ハンバーガーの哲」「フランクルトの辰」「中辛のサブ」と時代と共の推移して行く立喰という仕業(ゴト)。
戦後の荒廃からの復興、そして高度経済成長へと時代が変わるにつれ、物資が溢れ、飽食の時代へと推移してしまうことにより、「月見の銀二」における昭和初期の情緒溢れた仕業(ゴト)の美学もまた、「ハンバーガーの哲」「フランクルトの辰」辺りになると仕業(ゴト)に美学など欠片も残っていなくなっているという、この無味乾燥とした世相を現していて、そこら辺は流石だなぁ。と。
「立喰」における「仕業(ゴト)」の完遂が「無銭飲食」であると言うのならば、袋叩きに合うコトでそれを完遂せしめる「哭きの犬丸」の仕業(ゴト)は、あたかも現代におけるリアクション芸人のように「芸が無いことにより、命を掛けざるを得ないことこそが芸」と言った犬の悲哀さを感じてならない。
などと、その瑣末な部分から感じる押井守的な匂いを楽しめる人間でない限り、この映画は観てもまったく意味がありません。
要注意。

はっきり言って、普通の人にはまったく観る亊をお勧め出来ない映画です。
観るだけ時間の無駄。

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ついでに『COMICリュウ』創刊号特別付録DVD、『女立喰師列伝 ケツネコロッケのお銀—パレスチナ死闘編—』も観る。

何だか別にどうでもいい感じでした。