12月21日 泉麻人×河崎実トークショーに行ってきました2013年12月23日 18時34分32秒


ウチの奥さんが大好きな二人、泉麻人さんと河崎実監督がトークショーをやる。というコトで、連れられてお茶の水の「ESPACE BIBLIO(エスパス・ビブリオ)」に行ってきました。
や、私もお二人は好きなので。

泉麻人(コラムニスト)×河崎実(映画監督)トークショー
『シュワッチとシェーの時代について語ろう!』

http://www.superedition.co.jp/blog/2013/11/post-213.html


このイベントは「1971年に発行された、鬼才・大伴昌司構成による幻のヴィジュアルブック「小学館の絵文庫・帰ってきたウルトラマン」全9巻を、円谷プロダクション創立 50周年を記念し豪華BOXセットにて限定復刻。同書の刊行を記念して」行われたもの。
ちなみに「小学館の絵文庫・帰ってきたウルトラマン」は9,975円(税込)です。
た、高い。
会場に売ってましたが私には買えませんでした(泣)。

なので『帰ってきたウルトラマン』に絡んだトークショーだとは思いつつ、泉麻人が居るならあの時代のサブカル的な風景も語られるのだろう。と構えて聞いていたのですが、その割にはやたら赤塚不二夫ネタが入るなぁ。と思ったらトークショーのタイトルに「シェーの時代」って入ってた。
そこ読み落としてました(笑)。
てか、あの時代を考察するのに、確かに赤塚不二夫は不可欠ですよね。
お二人の話題も『ウルトラQ』から始まってしまったため『ウルトラマン』に辿り着くまでが長く、『帰ってきたウルトラマン』まで全然話が届かない。いいのか?(笑)

お二人のトークは楽しい感じで流れて行きました。
「科特隊専用車のシボレー・コルヴェア。あれ、円谷が関係した他の映画やドラマ作品にも出てくるんですよね。ナンバープレートの番号が一緒なんですよ。オレ、メモして確認しましたから」
と、とても泉麻人氏らしい発言もあれば、
「やっぱり『帰ってきたウルトラマン』は「新マン」ですよ。「ジャック」なんて言うヤツは許せませんよね!」と河崎監督。
あああ、まったくの同意見です!!
「かえりマン」も不可ですよね!(笑)
だって当時の文献表記での通称は全て「新マン」だったんですから。

それまでのトークも面白かったのですが、個人的に興味深かったのは『小学館の絵文庫・帰ってきたウルトラマン』を当時編集されていた方(すみません、お名前を失念しました)がゲストとして呼ばれてから。
当時の本の編集作業や編集部、当時の円谷スタッフとの関係性、等の裏話(というか編集部側からみたその頃の空気感)みたいなものを、結構リアルに感じさせてもらえました。
『Q』から『セブン』までの講談社に対して『帰ってきた〜』以降の小学館。という構図とか。

当初『ウルトラQ』放送前から先行して講談社の『ぼくら』でストーリーが紹介されていて(フィルムは出来ていたのにTBSが放映に積極的では無かったためお蔵入り状態になってた)人気が出て放送の後押しになったという関係もあり、『Q』や『マン』は講談社に恩義があるので(「紹介してもらう」というスタンスで版権料とか取っていなかったのではないか?)、『セブン』放映前に小学館でも権利取得に動いていたが、直前でポシャってしまい『セブン』までは講談社に掲載権が。
『セブン』が終わり『ウルトラファイト』の頃に積極的に営業を掛け(撮影場所にまで手土産を持って行ったり)『帰ってきた~』の版権を得ることに。
など。

個人的にはこの方の
「とにかく良い写真素材が無くてね。宣材スチールなんかどこでも一緒だから。
仕事終わった夜8時から円谷エンタープライズに行って、フィルムを見せてもらってたりしましたよ」
という愚痴が、ああ、リアルだなぁ。と。
また「『セブン』の頃は円谷側に版権で儲けようという概念すら無かったのではないか?と思える」
というコメントからは、当時の映像畑の人は職人肌だったり芸術志向の人が多かったりで「作品作ってナンボ」の考え方であり、版権で儲けようという概念すら無かったのかも知れない。と思え、とてもうなずけました。
そのひとつの側面が『帰ってきた~』には変身アイテムが無いということ。
やはり「追い詰められて、追い詰められて、そして変身するというドラマ性を重んじて、変身アイテムで儲けようと思っていない(というか出そうとすると制作スタップが嫌がる)」という話からも納得出来ます。

あとは今調べたらwikiにも乗っていたので書いても大丈夫だと思いますが、ウルトラ兄弟の設定誕生秘話!
『帰ってきた~』からウルトラの版権を取得した小学館が、学年誌『小学二年生』の編集長が当時
「兄弟物が流行ってる(『おそ松くん』とか『ケンちゃん』とか流行ってるし、そういう時代感だった)からウルトラも兄弟にしちゃえ! と、当時シルバー族(ウルトラマン)・レッド族(ウルトラセブン)の区分は存在してしたが、なら義兄弟でいいだろ!」的に強引につけてしまったのが元だとか。
こういう円谷とは関係無い出版社という他所の場所で、現在に冠たる「ウルトラ兄弟」の設定が誕生したというのも、当時の時代感だなぁ。と。そしてそれが結局作品にフィードバックされて行く様って、『機動戦士ガンダム』(矛盾したり穴だらけの設定を放映後にファンが補完して行って、現在のキメ細やかな設定がある)の先を行っていますよね。
ちなみにこの時の河崎監督の
「永井豪も博・潔で兄弟だし」
のツッコミがかなり好きです(笑)。
このエピソードを聞いたことで、過去の作品を分析する時にはその時代性まで考慮に入れないと意味が無いなとあらためて思わされました。
『ウルトラマン』を語るのに『ウルトラマン』の作品群の軸線上だけを追いかけてても、薄っぺらい的外れな分析にしかならないんですよね。
例えば『帰ってきたウルトラマン』(1971年4月2日)のタイトルの付け方ひとつ取ってみても、別に唐突なものや奇をてらったというだけのものでは無く、例えば『帰ってきたヨッパライ』(1967年12月25日)の大ヒットがあることで世間に「帰ってきた」というフレーズが良い意味で広く認知されている時代だからこその円谷英二の命名である。とか。

大伴昌司さんの話も面白くて、まだトレスコが無い時代だったので(トレスコ=トレススコープ。コレ説明する時のジェスチャーが「ドアノブを持つ感じに右手と左手を手前に突きだし、左右ともくるくると回す」なのがいいわぁ。みんなそうなんだよね(笑))35mmをフィルムを現像する引き延ばし機使って印画紙の代わりに紙置いて書いてたけど、それではなかなか上手くいかず、しまいにはプロジェクター使って壁に紙をあてて描いてた。とか(実は引き延ばし機を使ってするこの作業、レイアウトデザインの現場でも同じ使い方してたんだよねー。だからわかるけど、コレ引き延ばし機のレンズを75mmから50mmとかに変更すれば対処出来るような気がする(笑)。あーでも紙のサイズがB3とか以上になるとやっぱ無理かー。せいぜいA3まで?)


といった感じで、かなり充実した2時間でした。
私は会場で売ってた河崎監督の『ウルトラ THE BACK』を、奥さんは泉麻人さんの『東京いつもの喫茶店』を買って、サインもしてもらえました。
『ウルトラ THE BACK』は近所で買えてなかったのが逆に幸いしましたよ!

てか、一週間に二度も河崎監督とお会いするコトになろうとは!!
何このタイミング(笑)。
その後『ウルトラ THE BACK』の加藤礼次郎先生のインタビュー記事を読んで愕然……
私は河崎監督の地雷を踏んでいたのかー!
先日お会いした時に同じように「ウルトラマンとライダーのどっちが好き?」って聞かれてたんだよなー。
すみません「石森が好き」と答えてしまいましたー!!
や、私どっちかてーとマンガの方を思い浮かべてしまったので。
あ、コレも映像作品否定って意味じゃなくてですね……ってドツボだー!!
ちがうんですよ、もちろんウルトラも大好きですよーーーー!!!

……やっぱダメですかねぇ。
ううう……私の怪獣もエビラだからなぁ。

よいお年を2013年12月31日 13時08分32秒

2013年は自分にとって人生グラフが思いっきり下降した年でした。
まぁ、フリーになる以前から、20年以上続いてた編集部からの仕事が無くなり収入がいちじるしく落ち込んだという意味なんですが。
業界全体でみると出版不況はとても深刻で、出版物の売り上げが最も多かった平成8年の5分の3程度にまで減って約30年前の水準になってしまうそうです。
私の収入もまさしく同じようなグラフを描いてますよ、というかそれ以下かも。
まんま時代を反映していますね(笑)。
そんな大局の中、フリーの自分なんか真っ先に切られるのがオチな所をまだ何とかしがみついていられているのを幸いと思い、来年は息を吹き返せる努力をせねば。と思う次第。

来年は本当に良い年でありますように(切実)。

それでは皆様よいお年を〜