奥州の遠野と平泉へ行ってきました。その1(10.21) ― 2012年10月27日 21時32分15秒
10月21日から二泊三日で奥州の方へ奥さんと旅行に行って来ました。
初めは遠野だけのつもりだったけど、「民話の里」で有名とはいえ上っ面をなぞる程度の簡単な観光目的では、名所以外はしょせんウチの実家みたいな寂れた田舎でしかなかろー、と予想。
そーすると遠野は1日で終わっちゃいそうなので、それならばと遠野で一泊、平泉で一泊と宿を分けるコトに。
雰囲気が気に入れば遠野で二泊してもいいかなという考えもよぎったんですけどね。
しかし「遠野・平泉」とくくられる割には、よくよく見ると遠野・平泉間って線路の区間距離で90kmも離れている。
それってコッチで言えば東京・熱海間くらい離れているってコトですよ!
ううむ。大丈夫かなぁ?
一応、事前にタイムスケジュールはかっちりと計算しておきましたが。
なにせ遠野に行くための釜石線、時間帯によっては2時間に1本しか走ってないからなぁ。
21日の午前11時。東京駅に到着。
天気は快晴。
修復工事も終わった東京駅は大正ロマンな感じでステキです。工事終わってから初めて来たよ、東京駅。
昼食は駅弁を買って車内で食べるコトに。
実は駅弁って、高いくせにさほど美味く無いというイメージがあって(30年くらい前のイメージね)、ずっと敬遠してたんですよ。実際食べる機会もまったく無かったし。
んでまぁ今回「車内で駅弁」というイベントにするなら、食べてもいいかなー。
というコトで、新幹線で駅弁です。
そしたらコレが大当たり!
美味い! 美味いぞ深川めし!!
駅弁ってこんなに美味くなってたんだー!
知らなかったヨ。
車内販売で「ほやの燻製」を買う。
何故か? その理由は後ほど。
新幹線で3時間くらい? 新花巻駅に到着。
イーハトーブのおみやげ屋さんですよ。
それにしても新幹線の停車駅なのに、辺りに何もねー。
そして在来線である釜石線への乗り換えには、JRからJRなのに、改札を出てしまうのです。
ああ、何か遠くまで来た感じ。
コレが釜石線の時刻表。
1時間に1本はある分だけ、ウチの田舎の方がまだ本数が多いです。
そしてJR釜石線・新花巻駅。
単線はまぁ当然として、ホームが片側のみ。
新幹線とのターミナル駅なのに〜。
いいのか、コレで?
いやいや、コレがいいんだよ〜。
こののどかな風景、癒されるなぁ。
そういえば釜石線で気付いたコトが2つありまして。
1つは、釜石線ってディーゼルなんですね。
電車なのに電線が無いんですよ。って、むしろ電車じゃなくて汽車ですか。
あんべ光俊『花嫁泥棒』の♪シュシュポッポ汽笛を鳴らし 汽車は野山を越えて行く♪そのまんまなワケですね。
急げ急げシュシュポッポ。なワケですよ。くぅ〜。
2つ目は、自動ドアだけど押しボタン式なんですね。
東京だと完全自動なので、なんかどうも慣れなくて、乗るにも降りるにもついドアの前でただぼんやり待ってしまいそうになります。
釜石線から見た車窓の風景。
そして遠野到着。
まだ5時ちょっと過ぎですが、もう辺りは暗くなってしまいました。
コレはカッパをイメージした建物で、実は交番。
宿泊先は「あえりあ遠野」。
かなり立派でキレイなホテルです。
実はこのホテルにした理由のひとつが「語り部の聴ける宿」だったから。
語り部さんによる民話の口演があるのです。
ぶっちゃけ、方言がキツイので初めの内は何言ってるかよくわかりません。
しかし、聴き込んで行くと不思議となんとなく分かってしまうのですね。
コレ聴いておいて、後で柳田國男の『遠野物語』と照らし合わせてみる。とかすると、奥行きが出て遠野という土地がとても味わい深いものになります。
遠野まで来たならぜひ語り部の民話に触れるべきかと。
どんとはれ。
夕飯はコース料理。
旅行代理店で単に夕食付きを頼んでただけので、内容は全然知らなかったのだけど、なんか分不相応に贅沢な料理が出て来てびっくりでした。
美味かったです。
奥州の遠野と平泉へ行ってきました。その2(10.22) ― 2012年10月28日 23時14分23秒
遠野と言えば柳田國男の著書『遠野物語』が有名ですが、もうひとつ別の『遠野物語』があるのをご存知でしょうか?
それがあんべ光俊の楽曲『遠野物語』
http://www.youtube.com/watch?v=e-0X166F-_U
もうかれこれあんべのファンになって28年くらいになりますが、ようやく遠野に来るコトが出来ました。
何とも感慨深いです。
なので、あんべの『遠野物語』に沿って、この遠野日記は展開して行きます。
『遠野物語』の歌詞
http://www.uta-net.com/song/40595/
「あえりあ遠野」の朝食。バイキングでした。とろろが嬉しいですね。
「あえりあ遠野」の外観。
新しく立派な建物です。壁が薄いのか、隣の部屋の声が聞こえて少々気になりましたが、とてもキレイなホテルでした。遠野に来たらまた泊まりたいホテルです。
「あえりあ遠野」から遠野駅に向かう道すがらの風景。
こんな街並みなら観光スポットめぐりとは別に、1日かけてそこら辺をぶらぶらと歩くのもすごく楽しそうだと思え、ちょっと後悔。
ウチら夫婦、旅行先で現地を意味もなくただ歩くの好きなんですよ。
2日間とも遠野泊にすればよかった。
そして遠野駅について一言。
「しまった! せっかく駅までの道を歩いて来たのに、青いリンゴをかじって無いっ! てか、もう青リンゴなんて買いに行ってるヒマがっ!」
車を持っていない私たちは、「遠野物語めぐり号」という観光バスで遠野観光を
する予定だったので、地元のスーパーを探して青リンゴを入手してるヒマは無かったのですね。
「遠野物語めぐり号」
http://www.hayachinebus.co.jp/tono.html
この「遠野物語めぐり号」、柳田國男の『遠野物語』100周年を記念して、2010年から運行されているそうで、新しくてキレイでした。
遠野に行ったタイミングが良かったですね。
バスのラッピングデザインもなかなかカッコ良くてステキです。
私はこのデザイン大好きです。
先に言ってしまうと、観光はこの「めぐり号」を利用して大正解!
料金は1日5000円と、ちと高いですが、昼食付きだし、各施設への入場料込みだし、と考えるとそこまで悪くもないような。
何よりガイドさんの案内が素晴らしいので、遠野初心者はまずこの「めぐり号」で遠野に触れてから。というのが本当ににオススメ。
「めぐり号」イチオシです。
「めぐり号」に入るともらえるシール。
これが各施設の入場証代わりになるので目立つ所に貼っておきます。
午前の一つ目は「南部曲り屋千葉家」からスタート。
ここは江戸時代の南部地方特有の、住居と馬屋を平面L字形に連結した農家建築「曲り家」を代表する建物で国の重要文化財。
現在も人がちゃんと居住しています(千葉さんでいいのかな?)が、一部を観光施設として解放しているのでお金を払えば中に入って見学するコトが出来ます。
中にある農耕具や大工道具を見ると「なんか昔のウチの実家を見てるよう」なデジャビュをを感じてなりません(笑)。
曲がり屋から見た景色。のどかでいいですね〜。
「今でも曲がり屋、残ってたよー。残ってたよー。残ってたよー。(←エコー)」
次は「五百羅漢」
天明の大飢饉による餓死者を供養するために、天明3年(1765年)に大慈寺の義山が山中の自然石に500体の羅漢像を刻んだもの。 羅漢像は絵画のような線彫り。
実は「五百羅漢」は知らなかったので、ツアーでこんな山道を歩かされるとは思ってもいませんでした。スニーカーで行ってて良かった。
そして天気も良くて良かった。ぬかるんでるだけで、目も当てられない状況になりそうな山道です。
山の神秘さも相まってこの一帯は空気が凛とした感じでした。
次いで「卯子酉(うねとり)様」
かつて「淵の主」が住み、その主に男女の縁を祈願すると叶うという縁結びの神社。祠の前にある木々の枝に、左手だけで赤い布を結びつけることができたら、縁が結ばれると云われるらしい。
ガイドさんに促されるまま私もやってみましたが、バスの出立時間に追われて結局右手も少し添えてしまったり、もう結婚してるんで縁結びも何も無かろうと「お仕事ください」と仕事の縁を願ってしまったりと、ちょっとぐだぐだ。
午後に入って「カッパ淵」
かつてカッパが多く住み、人々を驚かしたという伝説がのこる場所。全国唯一のカッパ狛犬で知られる常堅寺の裏手を流れる小川の淵。
ここがそうか〜って感じでしたが、確かにカッパが棲んでそうな雰囲気ありますねぇ。
やはりカッパはキュウリで釣るみたいです。
こんな風に。
そして!
何とカッパ発見!!
カッパがキュウリでカッパを釣ろうとしてました(笑)。
カッパ狛犬は諸事情で観れませんでした。
お寺があればお墓もある。
沖縄旅行以降、ちょっとお墓のデザインが気になるようになりまして。
最近のではなく昔のお墓の。
ココの地方のお墓は下側がやや細めになった円筒形をしてるみたいですね。
そして「伝承園」でお昼。
「伝承園」は野外博物館で、園内施設としては菊池家住宅(国の重要文化財に1976年指定された南部曲り家)、佐々木喜善記念館、御蚕神堂(養蚕の神「オシラサマ」1000体を安置)、染工房、工芸館、公民館がある。あとお食事所。
ココでのお昼も美味かったです。
今回の旅行、食べ物関係にハズレ無しだなぁ。
真ん中の団子が2つ入ったお椀の汁は単なるお湯なので、中の団子だけ食べてください。と先にガイドさんから注意がありました(笑)。
腹ごなしに「伝承園」の中に入って見学。
茅葺きの曲がり屋や小屋が園内に建ってる。
その内の公民館だったかな?に子供の遊技道具が置かれていて、お手玉やけん玉と一緒にメンコもあった。
……が、何故か妙に程度の良い80年代テイストなメンコばかり(笑)。
まぁ、古いメンコらしいメンコは今さら集めようと思うとプレミア付いてて高いだろうからなぁ。
湯殿が離れにあったり湯船が桶だったりと、昔の実家を思い出させるなぁ。
ウチはさすがにトタン屋根でしたが。
そうそう。こんな手押しポンプもあった。
さすがに水車はありませんでしたが。
1000体いるというオシラ様。
というワケで、
「ここにも曲がり屋、残ってたよー。残ってたよー。残ってたよー。(←エコー)」
そして最後に「福泉寺観音堂」
真言宗豊山派の寺で、木彫として日本最大の大観音像で知られるらしい。
あんべの歌に出てくる名称の中で、「笛吹峠」はちょっと遠いので行くのをあきらめてて、「すすきの野辺」はどこだかわからない。
つまり「古い曲り家」以外に具体的かつ確実に存在する場所が「福泉寺」なワケで、そういう意味では一番確実にあんべの『遠野物語』を堪能出来る場所。なのです。
なのですが、正直「しょせん田舎のお寺でしょ」的に期待はまったくしてませんでした。
あんべフィルターがなければ見るに及ばない、凡百なそこいらのお寺とたいして変わらないであろうと。
それがなんと!!
来てみてびっくり!!
スゲー立派なお寺でした。
ぶっちゃけ、次の日に行こうとしてる中尊寺に向こうを張れますよ?
金色堂が無いだけで。(歴史も1912年からとちょっと浅いけど)
こんなスゲー寺がマイナーに埋もれてるなんて!
さすが東北あなどり難し。
福泉寺から一望する遠野盆地。
丁度この白衣観音がある一画だけ見事に紅葉していて、綺麗でした。
時期尚早のため諦めてた紅葉狩りも、謀らずしも堪能。
五重塔も顔を出します。
あ、写真撮影が不可だった大観音像ですが、見上げるパース以上に顔がやたらでかかったです。
行程を終え、駅に向かうバスの中でガイドさんが
「この旅を、それぞれの心のページに書き込んでいただけると云々」と言っていたのが、あたかも
「遠野の町に 白い日記をボストンバッグにつめて来た僕に 昔々のおとぎ話でページをうめてくれた君」の歌詞に微妙に符号し、
「ページを埋めてくれた<君>はガイドさんだったんですか!」とか、ワケのわからないコトを声に出してしまいそうになりました。
歌詞の文脈からだと「ページを埋めてくれた<君>」は「昔々のおとぎ話を語ってくれた<語り部のおばあちゃん>」になるんですけどね。(←違います)
そんな「遠野物語めぐり号」の1日でした。
てな感じで。
時間も慌ただしく遠野を去ると、釜石線で花巻に向かい、そこから東北本線に乗り換え、一路平泉へ。
花巻駅では乗り換えの待ち合わせが30分以上あったので写真を撮ってみたり。
花巻駅もターミナル駅なのに、意外に何もなさげな感じ。
東北で映画館のある街って何処なんでしょうか?(←映画館のある街が栄えてる街の証明だと思ってる)
平泉に着くとまたも陽は落ちてました。
平泉での宿は「ホテル武蔵坊」
築40年くらいな感じだけど、ちゃんとしてるホテル。
ちゃんとしてるホテルは気配りもしっかりしてて、ありがたいなぁ。
食事も豪華で美味しかったです。
特に前沢牛のしゃぶしゃぶ!
肉やわらかかったぁ〜。
炊き込みごはんも美味くて大満足。
晴天にめぐまれ、一番充実した2日目でした。
奥州の遠野と平泉へ行ってきました。その3(10.23) ― 2012年10月29日 23時05分04秒
平泉には思い入れがありまして。
さほど詳しくはないけど源義経が好きなので、20年ほど前にもテントを担いだバイクのソロツーリングで、平泉には来たコトがあったんですよ。
あの時はまだGPX400Rに乗っていたんだっけなぁ。
なので今回私は20年振りの奥州平泉。
義経も藤原三代もあまりよく知らなかった奥さんには、前知識として川原正敏『修羅の刻』の七巻〜拾巻(源義経編)を旅行の前に読ませておいたので、予習もバッチリです。
朝起きると残念ながら曇天。
天気予報では全国的に大荒れとのコト。
朝食を食べていると、とうとう雨が降り出してしまう。
雨に降られるのは仕方ないとして、傘さして歩き回れるくらいだといいなぁ。と切に願う。
バイキング形式の朝食は美味しゅうございました。
やはりとろろがステキ。
出立前にホテル全景……を撮ろうと思ったけど、雨だったり送迎バスがもう来てしまっていたりとバタバタで、入り口程度しか撮れませんでした。
ホテル武蔵坊、良かったです。
平泉では平泉町巡回バス『るんるん』で回るコトに。
「1日フリー乗車券」を使えば 400円で、「平泉駅」から「毛越寺」「平泉文化遺産センター」「中尊寺」「高館義経堂」と平泉町内の主要観光地がほぼ回れるので便利。
「達谷窟」や「厳美渓」、「げいび渓舟下り」はそれぞれが結構離れた場所にあるので、今回はあきらめる。
遠野みたいに観光バスを使えば何とか出来ないコトもなかったのですが。
でもこれで正解だったかも。
なんてったって、雨だし。
お金を掛けずにのんびり回る方が丁度良いです。
本当に大嵐になるようだったら、適当に切り上げるコトだって可能ですから。
てなワケで、雨の毛越寺(もうつうじ)。
本殿もご開帳をしてたので、中に入れました。
が、そんなコトはどうでもいい。
私は毛越寺の庭園が大好きなのですよ!
20年前に平泉に来た時、毛越寺の庭園に惚れました。
その広さといい、造形といい、それはもう至高の庭園です。
毛越寺の庭園は中央にある池を周回する形で散策するのですが、たった一歩歩いただけで、視界が鮮やかに変化する造りになっているんですね。
だから、ただ歩いてるだけで景色が次々と変わり、飽きないんです。
雅やかと言うより、むしろ落ち着いた雰囲気なのも渋くてまた良し。
そう。毛越寺に来るタメに、私は平泉に来たのです。
「毛越寺よ、私は帰って来た!」
そんな思いの丈を伝えてみようかと、毛越寺の庭園の写真をだーっと並べてみましたが、伝わりませんかねぇ。
私が大好きな毛越寺の庭園のニュアンスが。
雨だし、私の写真が下手だし、というのもありますが、やっぱ2次元に置き換えてしまうと伝わらない何かが出て来てしまうんですね。特撮展におけるZATの<スカイホエール>みたいに。
違うんだよ、こーじゃ無いんだよ。
もっと毛越寺の庭園はスゲー素敵な癒し空間なんだよ。
『へうげもの』風に言うと、庭園歩いてると、何か「はふ〜」って感じになるんだよ。
なので、私の言ってる意味が知りたい人は、ぜひ毛越寺に行って、庭園のすばらしさを体感してください。
この建物なんか、茅葺きなのにてっぺんの紋だけ金だったりとか。オシャレ。
このベンチは私が20年前に寝転んで自分の写真を撮った、思い出のベンチ。
その時に近いアングル。
こういう景色の良い所で寝転がってぼーっとしてるのって幸せですよね。
今回は雨だったので出来ませんでしたが。
私は毛越寺の庭園でなら、1日中ぼーっとしていたいです。
そのくらい清涼たる空気が流れている庭園なのです。
良いスポットには良い何かが集まるのでしょうか。
毛越寺の駐車場の一画にある、『毛越寺門前直売 あやめ』
http://burarioshu.exblog.jp/17736843
で「弁慶のわらじパン」を買いまして、パンの中に漬け物が練り込まれていて、これがなかなか美味しかったです。
しかしそれ以上にここで買ったキュウリの漬け物がメチャ旨!!
惣菜的に1パック100円で売ってたのを、わらじパンのお供に買ってバスの待合室でつまんでたのですが、あまりの美味さにもう1パック買っておみやげにしてしまいました。
『漬け物処 きら里』が出品しているものらしいので、毛越寺に行かれたなら、ぜひココで「キュウリのからし漬け」を食べてみてください。
からし漬けとは言っても全然からくないですよ。
オススメです。
次に「平泉文化遺産センター」に寄る。
何故なら無料だから。
建物も展示内容も立派でしたが、ほぼ同時に入って来た団体客のオヤジが大声で話しててうるさかった。
奥さんはココで『吾妻鏡』の名前を覚えたらしく、やたら「吾妻鏡」を連発してました。
そして中尊寺。
世界分化遺産にも指定されているお寺で、金色堂が有名。
マルコ・ポーロが『東方見聞録』でジパングを黄金の国と言ったのは、この中尊寺金色堂を聞き知ったからという説がある。
というくらい、平泉観光の中心になるのがここ中尊寺。
奥州藤原三代の象徴でもあるし。
中尊寺、キライでは無いですが、やっぱ私は毛越寺の方が好きだなぁ。
参道入り口近くには武蔵坊弁慶の墓の碑があります。
そして参道。
傾斜がきつく、登るのが大変。
顔出し看板があると、必ず顔を出す人が居ますよ。
これは弁慶堂。
中尊寺の参道には小さなお堂がいくつも点在しています。
参道中腹から見た景色。
そして中尊寺本殿。
金色堂は撮影不可のため、写真はありません。
その金色堂ですが、立派は立派でスゲーとは思うんですが、ガラスだかクリアパネルだかで四方を囲われてしまっているので、ちゃんと見えないんですよね。
しかもちょっと離れた距離で囲われているので、見ててリアル感にも乏しいし。
触らしてくれとまでは言わないけれど、もっと舐めるように見れないと意味ないなー。と思いました。(20年前にもそう思ったコトを思い出した)
そういう意味で、舐めるように見れた特撮展は流石だったなぁ。(展示物の値段があまりにも違いますけどね)
柱の表面の漆工芸とか、触れる分だけ日光東照宮の方がいいかも。
とか思わせてしまう分だけ、展示方法に難があるのはもったいないです。
中尊寺を降りて来て、昼食というか軽食。
「弁慶のわらじパン」を食べてしまっていたのであまりお腹が空かず、ずんだもちとじゅうねんもちで済ますことに。
そして最後の観光スポット、高館義経堂(たかだちぎけいどう)へ。
ここは義経が自害した場所とされている所。
この義経堂へ向かう道から見える風景が、松尾芭蕉の「夏草や 兵共が 夢の跡」の句を本当に彷彿とさせ、何とも言えぬ感慨に浸らせてもらえます。
毛越寺に次いで、好きな場所です。(20年前から)
義経堂のお社。中を見ると
義経さんが居ます。
お社の脇から見た北上川。
義経さんも同じ景色を見ていたんだなぁ。
最終的に藤原泰衡に襲撃される事になってしまいましたが、この素晴らしい景色が見える場所をあてがわれていたことを鑑みると、義経は奥州藤原氏には大事にされていたんだなぁ。と、思えてなりません。
といった感じで、奥州平泉を満喫し、帰路につきました。
雨に降られた1日でしたが、土砂降りというほどひどくは無く、傘をさしていれば何とかなる程度の降ったり止んだりのお天気だったので、雨もまた風情があったと言い換えることが出来るかと。
その程度の降りで良かったです。
夕飯は旅の余韻的に、駅弁を買って家で食べるコトに。
東京駅には東北のお弁当も売ってますので(笑)。
どぶろくは遠野のお土産。
キュウリは「毛越寺門前直売 あやめ」で売ってた「からし漬け」です。
ほやの燻製は行きの新幹線で買ったヤツですね。
結局おみやげになってしまいました。
そうそう。
何故ほやにこだわってるのかと言うと、20年前に平泉に行った時、宿は一ノ関で
取ったのですが、夕飯は街の居酒屋に入ったのですね。
そこの板前さんと話してると、私の田舎の近所に修行に来ていたコトがあるとのことで「漁師町の出なら、コレ食べれるでしょ」と、ほやの刺身を出してくれたのです。
田舎ではほやを食べたコトが無かったので、その時初めて食べたのですが、それがなんとも不味いコト不味いコト(笑)。まんま生だし。
その時は漁師町出身のプライドだけで何とか食べ切りました。
んで、不味いとは言うものの、この手のヤツはいかの塩辛とか牡蠣とか、唐墨とかみたいにそのクセに慣れてしまうと逆に大好物な旨い物になってしまったりもするので、はたして20年後の自分にはどう感じるのだろうか?と思っていたワケですよ。
平泉旅行にはそんな裏テーマがあったのです。
ようやく、ほやの燻製を食べる時が来ました。
食べたら、全然普通に食べれましたね。
燻製加工の上に味付けもされているので、すごく食べやすくなってます、コレ。
ただ、20年前に感じた不味さの象徴である苦みは味の中に確実に存在していたので、次はやっぱ生刺しに挑戦して、本当の所を判断するしかないかな。と。
コレは「めぐり号」の車内販売で買った、「遠野物語めぐり号トミカ」
遠野では『水木しげるの遠野物語』の単行本も買ってまして、なんか最近やたら水木先生と縁があります。
『ゲゲゲの女房』とか深大寺とかめぐり号とか。
『鬼太郎』にはハマらずに来たので、実際の所『水木しげるの遠野物語』が水木マンガ初購入作品だったりします。私。
その『水木しげるの遠野物語』ですが、『遠野物語』をとても読みやすく水木マンガ化しているので、『遠野物語』入門にはオススメの1冊になってます。
それとは別に、奥さんが遠野の観光案内所で買った高柳俊郎/著『やさしい『遠野物語』入門』の小冊子は100円だったのにもかかわらずとても良い内容で、『水木しげるの遠野物語』と合わせて読んだら、なんかすごい勉強になりました。コチラもオススメです。
むう、柳田國男の『遠野物語』もちゃんと読まないとな(←実は持ってる)。
というワケで、充実した3日間でした。
遠野にも平泉にも、また行きたいよ〜。
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