電脳コイル最終回2007年12月01日 23時13分02秒

『電脳コイル』の最終回。
泣けた。

全ての謎が解けて、しかも投げっぱなしにしないちゃんとしたまとめ。
最初からストーリーをオチまで全て練り込んでからでないと描けない構成は、何とも流石です。
名作決定!

来週の同じ時間(NHK教育:土曜午後6時30分)からは1話目からの再放送が始まるようなので、今度はビデオに1本録画でもするかぁ〜?

全編を通して、デンスケがとても良かったです。

やりたくないけどやらないと〜。でもやりたくない。2007年12月24日 10時59分09秒

気付いたら1日から日記書いて無かった。
某所の方ならまだもう少しは書いてます。

毎年オリジナルデザインの年賀状を作ってますが、今年はもう11月の時点で作るのをあきらめてしまっているので多分作りません。
本来ならゲッターカーンの年になるハズだったのになぁ。
てか、もうイラストが印刷された年賀状を20枚程買っちゃったし。
さらに言えば、多分来た年賀状に返信的にしか出さないつもり。

なんつーか。
通常のレイアウト仕事期間以外の時に、やりたくないけどやらなきゃいけない事があって、やりたくないからなかなか進まないんですよ。
で、年賀状作るのとか楽しいから、そっちやり始めるとやりたくない事を後回しにしちゃいそうなのであきらめました。
片付いてからにしよう。と。
でもやりたくない事は、やりたくないのでなかなか進みません。
なので延々とやりたくない事が片付かないので年賀状はやっぱり作れないでしょう。

小説を全然書けないのも同じ理由です。
別にスランプでも何でも無いのです。
てかむしろ凄く書きたい。
でもソレやっちゃうとアウトなのです。

●缶チューハイ2007年12月29日 01時53分25秒

今まで、お金なんざそこそこの生活が出来ればいいや〜。程度の考えで生きて来ました。
でも現在感じる「漠然とした不安」って、結局お金さえあればほとんどが拭えるものなのか! 
と、夜食を買いに出たコンビニに向かう途中でハタと気付いたのですよ。

あ〜あ、宝くじで3憶円でも当んないかなぁ〜。
1000万くらいじゃ何も出来ないし、意味無ぇよなぁ。家も買えないし。
1億でも都心じゃ家買ったらほとんど残んないようなモンだし、下手に高い家買ったら固定資産税とか払えなくなって、結局手放すハメになりそうだよな〜。
やっぱどーせなら3億くらいないと安心出来ないよなぁ〜。
3億あったら1億は実家にくれてやって、1億未満で家買って、残った1億は老後を含めた今後の生活のために貯金かなぁ。
別に今、緊急に大金が必要な事もないし、とりあえずは生きて行けてるもんなぁ。
あれ? 家族とはいえ1億もくれたら贈与税とか取られるのかな?
でも多分、3億当っても生活スタイルは変わらないで、1ページいくらのこの仕事続けて行くんだろうなぁ〜。
仕事無いと、金があっても単なる引きこもりになっちゃうからなぁ、オレ。
そんな人生つまんないモンなぁ。

とか考えながらコンビニで買い物をしながら缶チューハイを手に取った時、ハッとしました。
いかん!
オレは何で215円もする高い缶チューハイを手に持ってるんだ!?
あわてて145円の物に持ち替えましたよ。

あまりにも考えに没頭し過ぎていたのか、
3憶円、当った気分になってました(笑)。
あぶないあぶない。

●機動戦士ガンダム劇場版メモリアルボックス2007年12月30日 01時32分25秒

ああ、とうとう買ってしまいました「機動戦士ガンダム劇場版メモリアルボックス」(DVD-BOX)。
で、何を嘆いているかと言うと、実は既に『劇場版ガンダム』のDVDは5.1ch版で三作分、ちゃんとコンプリートしてたんですよ。
なので言っちゃえば同じ物を2度買ってるコトに事になるんです。
もう持ってるんですよ。

なのになんでまた「メモリアルボックス」を買わざるを得なかったかと言うと、5.1ch版って、音源を5.1ch化させるタメに商品発売時にセリフ等が再録された物なんですね。
作品発表から20年後(くらい)に当時の声優さんたちを集めてアフレコし直した物なんですよ。
だからマ・クベは塩沢兼人さんじゃ無いんですよ、その時にもうお亡くなりになってたので。
それだけで無く、やっぱ声優の皆さんにも20年間の歳月があるワケで、声を聴いても何か微妙にズレがあったりするワケです。
なので、こんなもん出すなよ! 5.1ch化なんてしなくていいからオリジナル音源で出せよ!
と、当時もぶつくさ言いながら買ったわけです。
だってDVDで買おうとしたら、ソレしか無いんだから。

それなのにですよ。
ココに来て「オリジナル音源で劇場版三部作をDVD-BOXにて発売!」ですよ!
はぁ?
てめー、客ナメてんのか!!
キタネー商売しやがって!!

とか、大変激怒してるワケですが!
……結局買ってしまう所が、ホント、オタクって足元見られてますよね。売り手に。
あーあ、自己嫌悪。

よいお年を2007年12月31日 10時05分09秒

皆様、今年1年ありがとうございました。
皆さんのおかげで何とか「ひろ・てん」を今年も1年続ける事が出来ました。
え? blogしか更新して無いじゃないかって?
まぁまぁ、ソレは言わない約束でしょ?

とりあえず来年の目標は「ゲッター小説を再開する」です。
てか、オレだってホントは今すぐにだって書きたいんだぁ〜!!
いったいいつになったら書く事が出来るんだろう……

いやね、以前の日記に書いたやらなきゃならないコトってのがありまして。
私は未だにお仕事ではmacのOS9を使ってるんですが、印刷所から「OCFフォントの切り捨て」通達が夏頃にありまして、コレが年内中で終わると。
CIDフォント以降の環境に移行しなきゃならんのですよ。
で、私はOSのシステムいじくるのが死ぬ程苦手で、「ああん、何でATM(アドビ・タイプ・マネージャー)が利いてくれねーんだよ〜!」とか、過去にシステムを組む時に理解不能な不具合をいっぱい出してるモンだから、はっきり言ってトラウマなんです。
今使ってるマシンは奇跡的な紙一重状態で動いてると言って過言では無いのです。

んで、それに合わせ、「どーせならOSX移行も視野に入れて」と、実は買って3年以上放置してるOS9純対応
最終型(OSXとのデュアルブートマシン)macG4(クイックシルバー)を組んで、仕事ベースもソッチに移行しようかと。
でもこのマシン、OS9とOSXのデュアルブートなんで、両方を上手く使おうとするなら、先ずOSXをある程度理解しないとならないんですよ。
macのOS9ってすごくルーズなシステムなので、Win使いには信じられないでしょうが、システムのバックアップなんてコピペでOKだったりするんです。
でもOSXはUNIXベースのシステムになってるので、今までみたいなそんなルーズな事は出来ません。
コレを両方問題無く動くように別々にシステムを組まなきゃならんのです。
もうこの時点で頭がパンク。

で、とりあえずIEEE1394の外部ハードディスクにあるバックデータをG4(クイックシルバー)に移そうとした所、
「あれ? 外部HDのドライバ入れたら、逆に外部HDを認識しなくなくなった?」
「とりあえず何とか元にもどしたぞ……コピー、コピー」
「ああっ! 大量データのコピー中にスリープモードになってるぅ!! なんでぇ?
この前設定したじゃんよぉ……あ、ネイティブ環境に戻したからだ〜
ちっ、コピー失敗じゃんよ。
ああん、再度コピーしようとしたらエラーが出てコピー出来ないよ〜。
もしかしてデータ壊れました?
あーあ、データ修復出来るのかなぁ? どうしよう……」
と、やればやるほど作業が前に進むどころか後退して行く始末。

……と、ここまで読まれて何を言ってるのかまったくわからないことと思います。
すみませんねぇ。
だって、やってるオレが何してるんだかわかんないんですから。
でもね、わかんなくても、それでもしなけりゃならないんですよ。
オレにしてみたら。

ホントはコレ、年内中に終わらせなきゃならないんですよね。
はっ。今日、大晦日じゃん!
……無理だ。絶対に終わんないよ〜。

なんて事を日々の仕事の合間にやらなきゃならないので、小説なんて書いてる余裕が無いのです。
イヤイヤやってるから全然作業も進まないし。

あらあら、年納めの日記でグチですか。
本当に申し訳ありません。
こんなサイトを見捨てないでいてくれるのなら、ぜひぜひ、来年もよろしくお願いします。

●あっかんべェ一休2007年12月31日 13時28分42秒

ちょっとしたきっかけで、坂口尚の描いた『あっかんべェ一休』を読み直している。
一休宗純の物語である。
今、読み直している途中だが、ハッとした。

「真の自由とは何とも不自由なものよのう」
ってのが過去に己(オレだよ、オレね。ひろzがですよ)がひらいたひとつの悟りであり、
「悟りってのは、山ごもりみたいな修業なんてしててもひらけるモンじゃなく、
世俗にまみれて懸命に生活した中で生まれた物こそ、真の悟り」
ってのが信条なのですよ。
あ。別にオレ、御存知の通り仏教家でも何でも無いですケドね。
どっちかってーと、そーゆー理屈づけた言葉遊びが好きなダケの、明日の生活にも不安を抱える単なる小市民です。

そんなオレの思想方向の原点にも通じる話が、この『あっかんべェ一休』には描かれていたのですよ!
まぁ、1993年に出た初版本を買って読んでいるワケなので、その時点で影響を受けていたのだろうって事でもあるんだろうけど。
アフタヌーン連載中も読んでたワケだし。
ストーリーはもうすっかり忘れてましたが。

「仏法の元、万物は平等である」
……ハズなのに、座禅を組む事で雑念を——心のチリを払おうとする。
心のチリと、清らかな心。
その心の在り様に差別を付けているのは自分自身ではないか。
心のチリ。と思った時点でソレは清らかな心とは平等では無くなるのですよ。
差別とは、人の心が作る物。

つまるトコ、あるがままを受け入れましょう。ってコトなのね。

またさらに
悟りをひらいた一休宗純ですら、思考の輪廻にとらわれて、同じ所をぐるぐると回る。
全てが平等と思い至ったハズなのに、飢民を放置し私腹を肥やす権力には怒りを覚える。
その激情こそが、また差別。
万物をあるがままに受け止めるという事は、何と困難な事であるのか。

一休という道号の元となりし句。
「有漏地より 無漏地へ帰る一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」
有漏地とは煩悩のある境界。
無漏地とは煩悩なしの境界。らしいのだが、これをあえて人生と取ってみる。
「あの世から生まれ、再びあの世へと帰る旅の間の一休み。それがこの世の人生ですよ」
そんな風に生きてみれぬコトかと。

世俗に生きる事で思い悩む様々な事柄も、結局は「まぁそれでヨシ」なんですよ。
悩むなら悩むが正解。
答えが出ぬなら出なくて正解。
さりとて正しきは疑い、誤りもまた疑う。
全ては己が心のままに。
御用心御用心。

このタイミングで、この作品を読み直せた事に感謝します。
これでとりあえずは心穏やかに年が越せそうです。
まぁ、すぐに蜘蛛の糸にからめ捕られ、同じ所に戻ってしまうのでしょうが。
それもまた一切往生。